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  1. 笠ヶ岳山荘について(0)
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パンフレット掲載

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2017年11月15日(水)14時30分28秒
  写真 上:会場の位置図
   中:「第29回 新きたきゅう音楽塾in黒崎」のパンフレット
   下:講師&演奏者のプロフィール
 
 

芸術の秋第三弾!「第29回 新きたきゅう音楽塾 in 黒崎」^

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2017年11月15日(水)14時26分37秒
  芸術の秋第三弾!「第29回 新きたきゅう音楽塾in黒崎」へ慌しく駆け付けるの巻
今やチャリ友を卒業?して芸術??友(略して芸友)となった門司在住のK子さんから声がかかった。「お暇なら黒崎に500円のクラシックコンサートを聴きに行きませんか。13時開演で足は自転車のつもり」と。取り敢えず予定がなければ、この種の誘いに応諾するのが基本姿勢の筆者に「ノー」は言えない(言わない)。但し連絡があって15分後には待ち合わせ場所の3号線は松本印刷前(門司区社の木1丁目)の集合とあって、いつもながら慌しい。

で会場は黒崎のどこ?演目は?演奏者は誰?などなど分からぬことだらけだが、これもいつものこと。会場到着後、疑問点は聞くことにして、晩秋の淡い陽光を受けながら国道3号を砂津~小文字通り~勝山公園~県道大蔵線(旧電車通り)~八幡・尾倉の小伊藤山公園前ロータリー~再び国道3号を黒崎駅前へガシガシと通り抜け、自宅から1時間10分、距離にして17㌔ほどで会場の黒崎ひびしんホール(北九州市立黒崎文化ホール)にとうちゃこ。ここで“第29回 新きたきゅう音楽塾in黒崎”なる演奏会を聴こうというもの。もちろん演奏者や演目は受付でパンフレットを貰い、初めて知った次第。この刹那に生きる?スリリングさやスピード感溢れる催行決定と、これに伴う高揚感、併せて適度なエクササイズを伴うアクティビィティも絡まって、図らずも珠玉の非日常が生まれた!とは言い過ぎかな(笑)。

して内容は地元で活躍している著名?な立原まさ子先生のバイオリンと古賀千恵先生のピアノにより、リストとパガニーニの作品(ラフマニノフの編曲を含む)を8曲ほど奏でるもの。“塾”と銘打っているのは、楽器のルーツや奏法、作曲家の生い立ちや時代背景の説明など、演奏者自身が講話を挟みながら進め、聴衆者に音楽への造詣を深めてもらおうとする趣旨から。よって演奏者=先生という訳だ。なるほど軽妙な語らいで演出を工夫し、「見て」「聴いて」「楽しい」そして「ためになる塾」を指向しているのが分かる。そのポリシーや気概には大いに賛同しようじゃないか、と既に高ぶってきてますね。もっとも講師先生が演奏する技量や熟達度など、論評する能力や見識はまったく持ち合せていないので、ふ~ん、そうか、そうか、と聴き入るしかないのだけど・・・。

ところがさすがに芸術畑のK子さん曰く「立原まさ子さんは下関市民オーケストラのコンサートマスターをしよるばい」「これはねぇ、最初の音合わせを主導する人なんで、奏者のトップしかんなれんのよ!」と、肩書から技量・人格を鋭く推察する。なるほどオーケストラの音色を特徴づける重責を担っている人と言っていいだろう。もっともベルリンフィルや日本フィルハーモニーオーケストラなどの高名楽団と下関市民オーケストラでは、同じコンサートマスターでも技量や資質など総合的なポテンシャルの違いはあろう(笑)。おっとここは地元演奏家が講師を務める、音楽塾での演奏者プロフィルだったよねぇ。

一方でホールいっぱいに300人はくだるまい聴衆はその殆どが老々男女ばかりなり。ウィークディの真っ昼間とあらばトーゼンの客層だろうが、開演前だからか、ずっと眠り込んでいる翁(開演したら起きるやろうか、ちょっと心配)や腰が曲がって杖を突きつつ席に着く婆様もちらほらと。この中にあっては我々は若年の範疇間違いなし、と自信を持ってK子さん宣うも、変なところで感心している場合ではなかろう。
ただ有り体に言えば学習効果を期待する“塾”としての性格上、(余命いくばくもない?)高齢者の方々ばかりが対象では、ちぃとミスマッチじゃないかな、などと思ってもしまうが、おっと野暮は言うまい。

とまれ目の前で朗々たる生の演奏を聴く機会などそうそうはあるまい。ましてクラシック音楽の一端を紐解き、リストやパガニーニの作品への思い、或いは彼らの私生活を含めたプロフィールなども交えつつ奏でれば、(聴衆も)作品への思慕は募る。秋の深まりとともに芸術に親しみ、ちょっとだけ素養も培った上で往復34㌔、それなりのエクササイズを伴えば、極上の半日だったと言わざるを得まい。K子さんに深謝。

自宅11:05→黒崎・ひびしんホール12:16(昼食&コンサート鑑賞)14:38→自宅15:43  MTB走行 34㌔
写真 上:会場の位置図
中:「第29回 新きたきゅう音楽塾in黒崎」のパンフレット
 

その2 その足で改装間もない市美術館へ赴き、ターナー展を鑑賞する

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2017年11月 8日(水)10時52分14秒
   でこれで終わりかと思ったが、本命は次にあった。K子さん曰く「今からターナー展を観に行きましょう! 券を二枚持って来とるんよ」と力強く唸ったのだ。「えっ、あの英国の有名なターナー?」「うっ、何処でやっているの?・・・(と垂涎の表情で返したに違いない)」 「戸畑の鞘ヶ谷!」「もちろん、行きますぜ! 付いて行きます、何処までも」と言う訳で、ちよっと遠いが往復20数㌔自転車を走らせたのだ (この時、鞘ヶ谷と聞いて競技場の近くに民間のギャラリーがあって、そこでやっていると勝手に思い込んでしまった・・・)。

 ところが先頭のチャリは到津交差点から大蔵方面へ入り、途中から美術館の森へどんどん上っていくのだ。「おっ、会場は美術館 ?」と聞いて初めて目的地を理解した次第。つい先日リニューアルオープンしたのは知ってはいたが、もちろん展示会のスケジュールなんぞ知る由もなかった。なるほどほんまもんのターナーの絵を、そこらへんの私設ギャラリーでやる筈はないよなぁ。とよ~く考えれば分かること。でゼーゼーハーハー、汗をかきかき上り詰めた美術館は静寂の世界。そしてターナー様のお出迎えである。

 さて改修後、記念すべき最初の催し「英国最大の巨匠ターナー 風景の詩」を如何に観るかであったが、マン・ツー・マンの案内人はここの学芸員も一目を置く、K子さんが買って出た。
 順路は第一章から第四章で構成され、第一章は「地誌的風景画」と称し・・・ターナーの出発点とも言うべき土地や地形を記録的に描いた素描や水彩画を集めたもので、見覚えのある絵が何点かあったぞ。彼の作品全体に通じることだが、淡いセピア色の物憂い気味な描写が、(己の)グレートブリテン島のイメージを定着させたと言っていい、うるうるなのだ。
 で第二章の「海景―海洋国家に生きて」は・・・この展覧会のポスターにも挿入されている「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」をはじめ力作が並ぶ。 海洋国家の英国で海の景色を描くことはメジャーとのこと。中でも海が持つパワーを表現しようとした代表作がこの「風下側~」だ。砕け散る波のリアルさがぐんと迫る ! う~ん、納得の一点でした。                                                    第三章は「イタリアー古代への憧れ」・・・40代半ばに初めてローマを訪れた彼は古代の世界の美や物語性のある風景スケッチに取り組んだとある。写真の「モンテ・マリオ~」はローマの中心部、古代遺跡が集積したマリオの丘からの遠景だが、古色陶然とした色合いが秀逸だよなぁ、とコメントの一つを吐こう。

 そして案内人がもっとも力説したのが第四章の「山岳―あらたな景観美をさがして」の項。・・・山岳に魅せられたターナーは、スケッチのためウェールズやスコットランドの高地、更にはアルプスへ足を運び、崇高な山岳風景を描いているが、それまでの山岳描写はおどろおどろしく魔境として描いたものが多く、それらと一線を画し写実的な荒々しさや緻密な構成が新たな山岳絵画の境地を開いた、とは金子案内人の弁。なるほど気軽に遠方へ旅行できない当時の人々にとって彼の山岳作品は視覚的な驚きと新鮮な感動を呼び起こすに充分な描写だったとは頷けますね。その中で筆者のお気に入りは「スノードン山、残照」。イングランド・ウェールズの最高峰の悠然とした山容が淡い光の中で映えていて、幻想的で崇高な気持ちにしてくれますね。

 で総論としてターナーの色彩の特徴と言えば、淡い黄色ともセピア色ともつかぬ明るい色遣いにあり、「光」をどう観るかが重要だとK子さんは仰る。「光の画家」としての本質を感じ取って欲しいとの思いだろうが、素人(己)考えでは明るい筆致だから「光の画家」じゃないの ? と短絡的に考えがちだ。それでも小理屈を付ければ、光や空気感を表現する手法として、靄がかかった大気の中に、かたちあるものがすべて溶け込んでいくような画風が、逆に「光」を必要としたのではないか、と思ったりもしたんですね・・・。

 そんなこんなの感情や思惑を秘め、大作群をじっくり観るには圧倒的に時間が足りなかったのが偽らざるところ。そして改めてターナーの魅力とは、風景表現の巧みさ、精緻さ、躍動感や安寧さなどいろんな要素を絡めて、絵のように美しく(絵なんだけど)、生き生きとした表現力にある、と思わずにはいられなかった。至福のひとときだったのだ。その意味では唐突ながら初めて(本物の)ターナーの作品群を時系列的に観る機会を作ってくれたK子さんには感謝するしかない。黄昏が迫る中、帰門の徒に就いたが、それぞれの残影が脳天いっぱいに溢れ、とてもこのまま家路とは行かなかったのは自明。その勢いで一献を傾けたのは言うまでもない。往復27㌔のバイクエクササイズの軽い疲労と共に、ターナー様は行きつ戻りつ酩酊の果てに漂っていましたね。

写真上:風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様
  中:モンテ・マリオから見たローマ
  下:スノードン山、残照
 

芸術の秋二題 その1 門司のギャラリー“オリーブの木“でミニ演奏会を愉しむ

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2017年11月 8日(水)10時47分40秒
   ぼちぼちうんちくさんの近況報告で大阪へ帰ってきた証明ができましたね。引っ越し後の大わらわなどで、メールどころではなかろう。しかし動向は気になるも突っつく訳には行かずでしたが、元気で何よりです。こだわりさんの“ボール“効果有りでしたね。

 さて文化の日を含む先週末の三連休の一日、門司在住で芸術?仲間のK子さんの誘いでミニ演奏会へ行った。場所は門司駅北口にあるギャラリー“オリーブの木”。目的は以下による。
 開館3周年企画展の一環で、14:30から30分程度、主に札幌を拠点に活動しているNanaさんがピアノの原型で、木でできたハンマーで弦を叩く、ハンマーダルシマーのミニライブを開くので、いらっしゃい、と店主から声がかかった。出演は他に門司で活動中のwind rumorさん(男女二人組) も加わり、ハンマーダルシマーにアコーディオン、クラッシックギターの三重奏。都合6曲ほど癒しのサウンドを聴いたが、何とも摩訶不思議な雰囲気漂う楽曲だったような。ポップスでもクラシックでもない音色。哀愁と癒しを併せ持つ旋律は何となく、ペルシャの千夜一夜か或いは中世の御伽草子の世界をイメージせんがの如く・・・でもないか・・・まぁ無国籍サウンドと言ってしまおう。

 と、うまく表現できないもどかしさが残ったが、肩の力が抜け、リラックスした面持ちになったのは確かで、掴みどころのない効能を感じつつ会場を後にしたのだったね(投げ銭は二人で千円)。あっ、もちろんこの企画展のメインは、10月末から5日まで、近在の画家たち10名ほどによる絵画展(前期)と7日から12日までの後期は同じく近在の作家たちによる 造形・写真展示が予定されている。  よってミニライブ時も壁面は写真のように作品が展示されていたが、ライブ時刻ギリギリに到着し、終わればちょっとした騒々しさの中とあって、ゆっくり鑑賞する間もなかったのが、いくばくか心残りでしたね。

写真上:演奏中のNanaさん(右)とwind rumorさん(中と左)
  中:終了後、子供たちとコミュニケーションを図るNanaさん
  下:絵画展の作品群
 

近況報告

 投稿者:ぼちぼちうんちく  投稿日:2017年11月 6日(月)07時36分47秒
編集済
  こだわり氏から投げられたボール、初めて(?)の比良山系といえばやはり主峰武奈ヶ岳となろうかと思います。朽木の坊村から西南稜経由武奈ヶ岳のコースかと思います。12月ですと昨年のヤマレコでは800M以上から積雪の様です。冬タイヤもありますので行けるかなという感じですが、いざとなれば京都バスでも行けますので少しは安心モードです。天候次第ですが今年は春以降お会いしておりませんので忘年会のみでもよしか?
宿泊施設等はこれからリサーチです。もし天候に恵まれて登れれば40数年ぶりの山行となります。

9/22転居以来近場の紀泉高原 岩湧山(岩崎元郎氏の新日本百名山)へ2回、金剛山へ1回とやや低調な状況です。

金剛山は今年4月にNHK ドキュメント72時間で放映された後、登山者が増えているとのことで金剛練成会HP掲載の頂上ライブカメラ静止画も1時間ごとのアップが30分ごとに増えております。
金剛山多数回登山を目指す方が多数日参されており、たまたまお話をした方は、年間300回ペースとのことで大阪市住吉区より片道1時間かけて『通勤』されております。
千早口の登山口は、ロープウェーもあり観光地ですので駐車場が有料(500円~600円)でありますが、年間定期券もあるとのことで中高年層の増加に伴い多数回登山者も増えている様です。

徐々に体調にアラームがともる年齢になりましたが、来年は北ア黒部方面にも足を向けたいところです。

20年ぶりの関西ですので、京都にも足を向けて母校の食堂で昼飯でも食べてこようかと考えている昨今です。

今日はこれから検査で病院へ、また、11/9.16も仙台で3か月ごとの定期健診です。医療費がかさみます(笑)。異常がなければ軽登山再開とするつもりです。

上 10/18 岩湧山頂上より大峰山脈を望む
中 岩湧山頂上 ススキ原が有名(ちなみに毎年4月に山焼きが行われております。)
下 頂上標柱 お約束の大分県産品登場
 

ボール

 投稿者:こだわり  投稿日:2017年10月28日(土)08時16分11秒
  この土日はガブリエル高瀬氏と石鎚山系高瀑谷から山頂を経由して御塔谷を下る、この山系屈指のマニアックコースを登ることになっていた。あいにくの天気だ。

あいにくの天気と言えば、先々週、先週と、週末はこの石鎚山のトレーニングのために久々に傾山に石鎚のパートナーとともに登ることになっていたが、これも台風など天候不良で順延を繰り返した。加えて、ガブリエル氏も往年の"ボッカのガブリエル"にちょっぴり陰りがみられ、何かと弱気な発言が多くなってきたな。というわけで、前穂北尾根以来の宿題も先送りだし、石鎚も含め、ボールはガブリエル側にある。投げ返してくれるのを待ってるよ。あっ、またプレッシャーをかけてしまったかな…。

ボールと言えば、8月以降、肩のリハビリに専念して鳴りを潜めている湯っ栗さんも、どうやら近場でちまちました山登りはやっているようだが、相変わらずリハビリの進捗状況は今イチのようで、我がメンバーでの毎年恒例となっている"冬の中国山地の雪山"も、まだ計画すら立たない状況だ。これもボールは、湯っ栗さん側にある、ということだね。

さらに、仙台から大阪へ"終の棲家"を定めた?ぼちぼちうんちく君もその後便りがないね。もう落ち着いた頃だ。12月下旬の木金は会社の会議で大阪だから、まだこの時期雪は少なかろうと思う比良山系など入ってみたいと思うが、これもぼちぼちうんちく君の気持ち次第だね。

かく言う"こだわり"は、このところ突発性難聴に悩まされ、加えて一昨年の暮れに奥秩父の雪山で負傷した下顎の影響で、最近下歯がぐらつき始め、クライミングで必要なロープを加える操作に難渋し、つい最近クライミング仲間に引退宣言を発したところだ。

とはいえ、往生際の悪さもあって、せめてボルダリングだけでもと、まだこだわっているところだ。

という訳で、土曜日の朝、ドトールでモーニングセットの朝食を終えたところで、さて、これから、ちっとも上達しないボルダリングに1時間ほど頑張ってみることにしよう。

この掲示板への訪問者の週末は、いかがな始まりかな?

 

黒部源流

 投稿者:こだわり  投稿日:2017年10月18日(水)10時16分22秒
  “こだわり”のクライミング仲間の一人M嬢が最近北鎌尾根に登ってきました。
北鎌尾根と言えば最近、1975年残雪期の北鎌尾根から北穂滝谷を目指した時の写真をスライドショーとしてYOUTUBEにアップしたタイミングでもあり、さらに奇遇というかそんな時にお互い仕事帰りの大分駅改札口で当時のパートナーであるガブリエル高瀬氏にバッタリと遭遇・・・こうなるとガブルエル氏とともにM嬢を囲んで最近の北鎌事情を聴かねばなるまいね、ということになりました。

 ところで、笠ヶ岳以来もう随分と本格的な山から遠ざかっていたガブリエル氏ですが、九重遭難碑再修復、再々修復などで体力に多少なりとも自信を取り戻したようで、この秋には黒部源流を頭においての薬師岳を二度にわたり計画したところですが、あいにくの台風や悪天候などの諸事情で断念せざるを得ず、陰ながら復活を祈っていた“こだわり”としても少々残念な気持ちでした。

 もちろん、こだわりとしても黒部の南越え~下ノ廊下~黒部三大岩壁~裏剱の計画は、満足度は2/3程度残り1/3の消化不良の気持ちでした。

 エネルギーの吐け場、ということではないけれども、北鎌尾根の回想、剱岳や黒部への想いなどなどを語る夕べは先週土曜日少しゆっくりお話ができるようなこじんまりとした場所で、ということでの市内某所。本題であった北鎌尾根の話もそこそこに話題はM嬢の関心の高い剱岳に移り、そうなると「剱沢幻視行」(写真1)でテンションが上がり、そのタイミングでガブルエル氏が取り出して示したのが「源流の記憶」(伊藤正一写真集)です。ガブリエル氏の復帰第一戦の北アルプスが薬師岳というのも、なるほどとうなずけた次第です。この日の話題の中心は結局、黒部源流になりましたね。

 いつものことながら、ガブリエル氏には山に関して何かと“こだわり”の知らない世界に導いてもうことが多いのですが、“こだわり”としては既に何度か足跡を残した黒部源流の山々に、この日をきっかけに少し特別な気持ちで関われるような気がしてきましたね。

 そして翌日、黒部源流で盛り上がったこのタイミングで「朝日新聞の朝刊日曜版に伊藤正一の『源流の記憶』が大きく紹介されているよ」とのLINEが、ガブリエル氏から入ってきました(写真3)。ガブリエル氏の高揚感が伝わってきましたね。

 さて、この秋の北アは、既に今日あたり冷たい雨がもしかしたら霙から雪に変わるかもしれませんね。餓鬼山尾根を5泊6日の食料とテント担いでの9月の山行で、寄る年波を感じた“こだわり”は、来年以降はこれまでの手を広げすぎた山のお付き合いを少しずつ整理(断捨離?)し、思いを共有する古くからの仲間をこれまで以上に大事に思い、そういう仲間と共有する時間をこれまで以上に大切にせんといかんな、と思いを新たにしているところです。

 そうなると来年の北アルプスは、黒部源流地帯、雲の平、読売新道、高天原などがキーワードかな、と思ったりしております。

※下のURLをクリックすると1975春北鎌尾根~北穂のスライドショーが観れます。

https://www.youtube.com/watch?v=Eag2gRy4BFs&feature=youtu.be

 

時代を感じさせる写真ですね。

 投稿者:こだわり  投稿日:2017年10月11日(水)08時24分27秒
  湯っ栗さんは昔から真冬でも首からタオルだったんですね。

それはともかく肩の調子・回復具合も順調とお見受けしました。
 

アップご苦労様

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2017年10月10日(火)10時46分35秒
  「前略~それはともかくとして、ワードに写真を張り付けた元原稿をホームページビルダーで再編集する作業は、結構面倒なもので、そういうことからPDFファイルにしてみましたが、これまた不具合があり、結局のところホームページビルダーでやり直して、やっとこさアップした、というところです。やれやれ…」のくだり・・恐れ入りまする。

 “我が青春の登攀“はもともと昔の共有情報として、個人的にこだわりさんに送ったつもりだったので、アップされようとは思ってもみなかった。よって少々驚きつつこれを書いています。もちろん勝手にアップされた!なんて嫌がっている訳ではありませんよ。こだわりさんにすれば、管理人としての使命感からいろんな手法を試したうえで写真も文字もキチン?と見れるようにして、湯っ栗の負託に応えた・・・という心情がありありと見てとれます。そのご努力に感謝しています。

 で斜め読みしてもらえるとすぐお分かりと思いますが、これに登場するすべての記録について、華々しくトップでルートを切り開いたとか、果敢に挑戦して事を成し遂げたとか、そんな活躍話はいっさいありません。殆どセカンドかラストでビビりつつ、或いはトップで微妙なルートに挑んだ場合は登れずセカンドに先を譲ったりと、そんな記述に終始しています。そんなこんなで、まさかアップとは・・・と思った訳ですが、難易度は別として青春の証として、登高会に所属してこんな山登りもやったんだ、と記録として個人的にキチンと残しておきたいと思ったから。ついては(湯っ栗の文書の)一読者として、けっこうコメントを頂けるこだわりさんに送付していたんですね。

 その意味では“登攀“ものだけではなく、縦走やピークハントを含めた一般の山行、トライアスロンやランニングなどの出場記、物見遊山な小旅行、時にはオピニオンなども含めて過去の記録や思いの詰まった文書を、退職を機にこれから少しづつブラッシュアップ(“てにおは〝を見直したり、写真を添えたり・・など)していき、ジャンル別に体系づけいこうと。大袈裟に言えば、ライフワークの一環としての一文だった訳です。とぁ個人的な思惑はこれくらいにして、感謝の意を申し添えなければ・・・との思いで筆を執りました。

 さて話は変わって、昨日までの三連休、九重に遊んできました。向学心に燃えた?大分での学生時代の山岳同好会メンバーの同窓会を九重の地で開き、その幹事役として任を果たして帰ってきたところです。総勢7名(内1名はカミさんを小生の補佐役として)が関東や福岡、大分から集まり、中には45.6年ぶりの再会もあったりと、大いに旧交を温めました。各人の思いや性格、しぐさなど昔とちっとも変わってないけど、見かけはすっかりと一様に老境の趣です。齢を重ねるとはこんなことなのか、いいことばかりではないけれど、再会してみると(こんな機会を持てたことに)、これまでの人生、肯定することの方が多いのでは・・・そんな皆の思いだったと思います。

 とそんな邂逅の一コマと46年前の一枚も添えましょう。
写真 上:小松地獄周辺で採取したアケビに郷愁をかき立てる
      中:牧ノ戸から黒岩山へ。他の者は皆初めて登った模様。驚き!
      下:46年前(1971年1月)、白雪の坊ヶツルにて若かりし面々

 

我が青春の登攀

 投稿者:こだわり管理人  投稿日:2017年10月 9日(月)09時49分12秒
  サイトの容量不足の関係からかもしれないが、古いファイルを削除したりして容量維持に努めているものの、画像が完全に転送されず、お見苦しいものがあります。うまい解決策が見つからないのが現状です。ご容赦ください。

湯っ栗さんとの、この時代の記憶は時々駅裏の居酒屋で飲んだ記憶と、別院、それに比叡山、最後は北穂合宿でとっておきのフランクフルトを、幹部に無理やり献上させられた話、1本3万円也の話、くらいですね。・・・つまりは岩登りの接点が少ないのです。

こだわりは、うっちゃん、和彦さん、ニワピニスト各氏との岩登りの印象が強い。時代が少しずれており共有する部分が意外と少ないなあ、と感じました。

それはともかくとして、ワードに写真を張り付けた元原稿をホームページビルダーで再編集する作業は、結構面倒なもので、そういうことからPDFファイルにしてみましたが、これまた不具合があり、結局のところホームページビルダーでやり直して、やっとこさアップした、というところです。やれやれ…



 

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