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  1. 笠ヶ岳山荘について(0)
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24さん

 投稿者:やっせんぼ  投稿日:2018年 7月19日(木)19時02分28秒
  我らの登山人生を大きく左右した24さんが今年の春先にみまかられたとの情報が入った、先日のY先輩や快調さんとの宴席でもそのような話題もなく元気にされているのだろうとおもっていたが・・・・やすらかにお眠り下さい、合掌

さて南洲墓地と神社の画像を追加添付します、庄内藩士のお墓は庄内の方角に向けて建立されているそうだが、当時はさーと観て回っただけで歴史の重さを深く考えなかった事を反省、先日の櫻島の噴火でお墓は灰神楽であろう、暑い中地元の有志が大掃除していることであろう。
 
 

黒岳を越えて大船山へ(2018.7.18)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 7月19日(木)18時03分31秒
  7/12大船山のあと、少し負荷を増やして由布岳の正面登山口から合野越、いったん岳本まで下り山頂へ登り返すという計画で7/15に臨んだが、岳本には下ったものの、その後あまりの暑さに閉口し、飯盛ヶ城でお茶を濁して下山。川西温泉に入って帰った。(標高差約900m、歩行4時間20分)

で、18日は親不知~白馬のトレーニング中のHさんのハードな計画に乗っかった。そうでもしないと意思が弱い“こだわり”は自分を追い込めないのだ。

早朝5時きっかりに黒岳白水鉱泉(標高720m)を出発し、前岳、高塚(1587m)、天狗、その間にいくつもの小さなピークを越え、風穴に下り、さらに前セリ(1160m)まで下り、標高差620mの東尾根をヘロヘロになりながら登った。ここまでに7時間丁度、累積標高差にして1700m・・・暑さにも急坂にもだいぶ慣れてきた。

Hさんの計画では平治岳までなのだが、足が限界に近い。Hさんは本番を想定して本番並みの負荷なのだが、“こだわり”はそれではまともについていけないので、かなり荷を軽くしているから、何とか同じペースを維持できている。

北大船山を越え、大戸越えまでのガレた悪路に消耗しコルに着いた時には平治岳までのたかだか標高差200mのピストンが限りなくGGP※に近くなりそうな予感。

「今日はここまでにしましょう」との言葉をHさんに言わせたのは、配慮が足りなかったか…。

ソババッケ~男池~名水の滝を通り、炎天下の車道に出て早朝出発の登山口に戻った時は午後4時を回っていた。累積標高差1700m、歩行18km、所要11時間15分・・・体が暑さにも、急坂にもだいぶ慣れたとはいえ、帰宅後は飯も喉に通らない体たらくだった。

※GGP:ゲロゲロパーの略称。10時間を超えるアルバイトで食い物を胃袋が受け付けなくなり、限界を超えると吐き気、嘔吐が始まる“こだわり”特有の現象を揶揄した、ガブリエル高瀬氏の表現。

写真1:行程図軌跡(男池でスマホ電池切れにつき、その後はおよその歩行軌跡を線で結んだ)
写真2:黒岳高塚からの大船山
写真3:段原から三俣山と北大船
 

暑中、忙中、陣中など、お見舞い申し上げます。

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 7月19日(木)11時05分47秒
  南洲墓地は何年か前仕事で鹿児島に行ったとき、訪ねてみました。
薩軍のこともですが、中津隊を率いた増田宗太郎の墓を確認しておきたいな、との思いでした。
見つけるのに苦労するだろうなと思っていましたが、墓地の中でもわりと目立つ場所に墓を見つけました。「薩軍に呼応して馳せ参じた各地方隊には、格別の敬意を払った結果」と、聴いたことがあります。

「1日先生に接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある」とは増田宗太郎の言葉。西郷さんの性格を想像できます。

それはともかく、やっせんぼさんその後閉門蟄居が解かれたでしょうか?
このくそ暑い(表現が下品ですが、この表現がぴったりか、今年の暑さは)中、ご自愛を!
他の皆様方にも掲示板を借りて暑中お見舞い申し上げます。
 

(無題)

 投稿者:やっせんぼ  投稿日:2018年 7月17日(火)13時27分33秒
  山の先輩と食事する機会があった、Y先輩にK先輩と何年ぶりの再会で昔の山の話やよもやま話で盛り上がった、自分はアルコール抜きで耐えた、2次会に
移動中遂に腰が壊れ、残念ながら途中リタイヤ、竹瓦温泉から別府駅までの道のりが遠い、ヨタヨタフラフラでかろうじて駅に辿りつき、娘の車に回収された、今後の外出は閉門蟄居と約束させられた、とほほ。
翌日日赤整形外科の頸椎から腰堆までMRI撮影、閉所恐怖症の自分には耐えられない1時間、結果は次回造影剤MRIとなり結論出ず、この痛みを何とかして欲しいと悲痛な叫びに歩けなくなる恐怖感が脳裏にちらつく。

さてPC保管の画像に10年前に亡き母が検査入信した病院の近所が南洲神社であったので短時間でコンデジに収めた画像を発見したので添付した。
大河ドラマ「西郷どん」も後半に入ったが、奄美に流されたシーンは当時のさつま藩の財政をさとうきびからの黒砂糖が支えていた事を改めて痛感、しかも島民には搾取であったとは、幼いころの記憶には全く残っていない。
南洲神社の中に南洲墓地があり西南の役で戦死者の墓地749基の墓石があり西郷隆盛、桐野利明、村田新八他眠っている、墓は戦死者のふるさとの方向を向き建てられている、また墓地の横には戦死者の氏名が銅板に刻まれている、今度帰る機会があれば最後のふるさと探求にしたいが、はたしてどうなるやら。
 

九重は夏山本番(2018.7.12)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 7月14日(土)09時07分34秒
  今夏はとりあえずのところ富士登山(8月上旬)が目標だが、近場の霊山週一程度では体作りは思うに任せず、と言ったところだった。そんな悶々とした日々だったがその矢先、昨年南越え(北ア後立山)を共にしたHさんから珍しくメールが入り、「今夏は親不知から白馬岳~祖母谷を単独行で目指す」という。それならば、いくらかでも刺激をもらうためにと、彼のトレーニング山行に同行させてもらった。果たして結果は、計画では長者原~雨ヶ池~坊がつる~大船山~坊がつる、ここからさらに三俣山を直登し、三俣山の各峰を全部辿るというものだったが、坊がつるに下りてきたところで“こだわり”はギブアップ。三俣山直登ルートに分け入る相棒殿の背中を見送り、とぼとぼと雨ヶ池へと下山した。

梅雨明け後の九重連峰は緑がどこまでも映え今まさに夏本番の趣であった。夏休み前の平日、坊がつるは小さなテントが3,4張り・・・これからだんだん賑わいを見せることだろう。

それにしても長者原から大船山山頂までの所要3時間25分は年齢相応と言ったところだろうが、下りの4時間20分はいただけない。寄る年波を感じる。筋力はこの歳でも鍛えればそれなりに向上が見込めるが、それよりも問題は膝だ。あとまだ下界の日常生活でももうしばらく頑張ってもらわないといけないのに・・・。

湯っ栗さんからも、ぼちぼちうんちくさんからも、膝の故障の話はついぞ聞いたことがないのが、昔からガラスの膝と言われた“こだわり”には、まことにもって羨ましい限り。
 

霊山(2018.7.11)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 7月13日(金)11時54分34秒
  今夏、夏山登山の第一弾は8月8~9日富士山だ。すでに過去2回、静岡県側からルートを違えて登っている。

「富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言葉も聞くが、三度目となるとどう表現したものか…。三度目には格別に意欲はなかったのだけれども、旧職場の飲み仲間(別に登山愛好家ではないが)から酒の席で、「一生に一度富士山に登ってみたい。つきあってくれ」と懇願され、酒の勢いもありついOKしてしまった。

「どうせ登るならばこちらの希望を優先させてもらうよ」と、山梨県側のコースを提案した。首尾よくいけば富士山の主だったほぼすべてのルートに足跡を残すことになる。

さてそれで、梅雨も明けたことだし、出遅れを取り戻すべくのトレーニング、霊山登山。

猛烈な暑さの中、1時間10分ほどをかけて山頂へ。

山頂ではいつもは標識を足早にターンするだけなのだが、障子岳の山腹の樹木が伐採され山肌があらわになっていることにふと気が付いた。伐採はごく最近のことだろう。

大分県産材は10数年前、中国の安い木材に押されて需要が伸び悩んでいると聞き、最近では逆に中国の木材需要が高まり、県産材のみならず国産材がどんどん無計画に伐採されていると聞いていた。障子岳の場合、無計画な伐採ということではなかろうけども、この霊山山域も例外ではなかったのだ。

杉、檜の植林はもともとが木材需要に対応してものだから、いずれは伐採されるのはやむを得ないこと。当然、植林も行われるだろうから数10年もすれば("こだわり"はその時はなんぼなんでもこの世には居ない)元の変わらぬ山腹に戻っていることだろう。

それまでゲリラ豪雨に遭遇しないことを祈るのみだ。

写真1:伐採の進みつつある障子岳の山腹。2:以前の山腹。
いずれも霊山山頂付近から。

 

霊山(2018.6.27)飛来山

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 6月27日(水)14時08分3秒
  今日霊山登山会の日だが、午後から宮崎方面出張なので、別行動で田尻から中腹の飛来山までとした。梅雨真っただ中のはずなのに、ついちょっと前まで梅雨前線は南にあり、夜になると肌寒いくらいであったのに、歩き始めてすぐに、あまりの蒸し暑さに戦意喪失だ。

ラジオの「日本全国8時だよ」では、お天気キャスターの森田さんが、「南にあった梅雨前線が、急に北にワープし、暖気が入ってきた」というような解説をしていた。

飛来山までとしたたのが幸いだった。この暑さではとても山頂までは持ちそうにもないのだけれども、そんな中、田尻からの常連さんの多くはいつもと変わらず元気に山頂を目指していた。エネルギッシュだ。

その中の一人山の本読書家のK野さんは、遭えば必ず昭和期のアルピニストの話をする。今回は松涛明の話だ。氏によると「山と渓谷が999号となり、近々1000号となる。松涛明などが改めて扱われるらしい」とのことだ。

そうかあ…、1000号か…。書店でたまに立ち読みする程度であったけど、1000号の記念号のようなものが出るのなら、是非とも手元に置いておきたいものだ、無類の山岳読書家ガブルェル高瀬氏と、久しぶりに共通の話ができようというものだ。

さて、この記事は宮崎に行くバスの中で書き込んでいる。今、どの辺りだろうか、傾山や大崩山など景色が移り変わる。宮崎方面では初めて高速バスでの出張だ。ひと昔前に比べバスの乗り心地はかく格段に向上し、大分宮崎換が高速で完全に結ばれたこともある。しかし、これまではそれでもJR利用だったが、大分博多方面に便利な4枚切符が最近、終了したことが、高速バスへの乗り換えのきっかけだ。とりあえずここ数か月、利便性、安全性、快適性、経済性などを念頭に、最終的に高速バスにするかJRにするか、検討しよう。

それにしても金剛山に日参している大阪のうんちく君はすでに100回を超えたそうな。人生は長い。ぼちぼち行きましょう。

写真:霊山寺の山号の由来となる飛来山の山頂。ここではいつも家族の顔など思い浮かべながら家内安全を祈っています。
 

番小屋正面壁 今昔その2

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2018年 6月 7日(木)15時51分20秒
    知恵熱の後遺症か、未だ扁桃腺痛が癒えず咳は止まらずで、ここ一週間は病院以外は外気に触れず、ほぼ引きこもり状態の湯っ栗に反して、周りはいろいろと蠢きが活発になっているようです。今朝は“ぼちぼちうんちく”さんから金剛山登山通算100回目達成のラインがあり、祝電?を打ったところ。継続は力なりですね。

  一方、こだわりさんは(齢に照らし合わせて)ハードな傾山を登ったりとそれなりに元気な様子。そんな外野席からの感想を抱きつつ今朝のブログを見遣ると、傾・山手本谷番小屋前正面壁の写真を発見! ちょっとびびっときました。

こだわりさんはご存じあるかないか分からぬが、この写真は1974年3月20~21日、番小屋をベースに こだわり、湯っ栗にセイイチ君と三人で山手本谷周辺山行を行ったときのもの。双ッ坊主方面へ行ったのか、本谷のどこかを詰めたのか、番小屋での夜に何を話したのか、などなど詳細を知る手立てはないが、余興で登った番小屋前正面壁の記憶(写真も)はちゃんとありました。

  今となっては周辺の木々は繁茂し、林道も大きく荒れている由、面影との落差は否めませんが、ときに再訪していにしえに思いを馳せる、胸をときめかすことも齢を重ねるルーチンとして必要なのかもしれませんね。

写真上: 同じ日に番小屋前正面壁を攀じる湯っ栗。角度が立ち過ぎている(笑)。
  中: 血気流行っていたころの傾山全景(九折越から見たもので74.5年頃の晩秋か
  下: 傾本峰西壁3P目を攀じる湯っ栗(‘75.11.24 パートナーはセイイチ、スナミ)

 

番小屋正面壁今昔

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 6月 7日(木)10時22分31秒
  傾山山手本谷の各沢や二つ坊主、喜作坊主、本峰西壁などに足繁く通っていたのはもう45年ほども前の話ですね。その時、ベースにしていたのは主に二つ坊主南壁基部のわずかなスペースだったように思いますが、山手本谷林道に当時あった番小屋も何度か利用した記憶があります。

その番小屋の真正面にスラブの高さ10mほどの岩場がありましたね。番小屋正面壁などと呼んで試登したりして遊んだ記憶があります(写真1)。

先週末の傾山の下山時、その場所を通りました。もうその場所には番小屋はもちろんありませんし、周りの木が生い茂って、過日の様相を一変しておりましたが、注意深く観察すると、クラックやスラブの特徴的な部分は当時のままです(写真2)。

そして、基部に1本のボルトを発見しました(写真3)。錆びて赤茶けてはいましたが、強度はまずまず、45年の歳月経過しても当時のまま。気になったのは、腰の高さくらいというボルトの位置。ビレーのアンカーボルトとしても、登攀に使ったにしても、あまり役に立ちそうな位置とはとても思えない。路面が高くなったのかな、とも思うが…、それよりも試し打ちしたのかな…。

傾山の岩場の岩質は相当硬度が高く、普通のジャンピングではなかなか穴がほげず苦労している時に、当時サニースポーツによく来られていた宮崎県の山岳関係者から特殊鋼のジャンピング試作品を2本登高会に提供してもらったことがあるので、もしかしたらその試し打ちだったのかな、それにしても、高価(300円・・・ラーメン2杯分?)なボルトを腰の位置にわざわざ埋め込む必要なんてさらさらないのに。

そんな馬鹿なことをしそうなのは自分しかいないかも?と苦笑しながら、かつての日々を思い起こしたのでありました。

 

傾山はしんどかった(2018.6.2)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 6月 3日(日)20時41分40秒
編集済
  傾山(九折~三ツ尾~山頂~九折越~山手本谷林道) 2018.6.2 チームストラッグル山会(挾間、豊明、呈蔵)

元々は自転車ツーリングがメインのチームストラッグルだが、昨年5月の石鎚山以来、このところ登山志向が強くなった。昨年は7月に祖母山、今年に入って佐田岬自転車ツーリングと半島最高峰伽藍山など、少しずつ実績を積み上げつつある。

早朝の5時に大分市を発ち傾山九折登山口を7時少し前に出発。この山は岩あり谷ありで、1602mの山頂まで標高差にして1200m超・・・つまりは日帰り登山としては大分のみならず九州最難関と言っても過言ではないハードコースだ。

足元がおぼつかなくなる年齢に近づき新人二人をガイドするとなると、登山のタイミングに結構気を遣う。

前述したように岩あり谷ありのこの山は、登山日前2日間程度が好天な時が、滑りにくくベストタイミング。何しろこのところの中高年ブームの中で、この山域でも滑落事故が頻発しているという、最近の登山事情もあるからだ。

大分地方は例年より大幅に早い5月下旬に梅雨入りがあっているが、ここ数日は梅雨前線が南に下がり、傾山一帯は爽やかな快晴だ。

登山道具をひとしきり揃えた呈蔵君の張り切りようは半端ではなく、観音滝を横目に見る急斜面や、三ツ尾への急登をひょいひょいと登って行く。豊明君は、“最高齢”の筆者を挟んで後方から物静かに登って行く。

筆者は、「俺はベテランだから年寄り扱いはごめんだぜ!」と言いたいところだが、体力差はいかんともしがたし。「やっぱ、歳かなあ・・・」と本音もポツリ。

水場コースと三ッ坊主尾根コースの分岐では「君たち、どちらを選ぶかな? 坊主尾根コースを選ぶなら誓約書にハンコを押してもらおうか」と、昔取った杵柄から少々自信ありげに問いかけると、当然のごとく「坊主尾根コース」との応えが帰ってきた。

実際、クライミング歴や登山歴などはここに来て、体力差があると、あんまりアドバンテージにはなり得ないということを思い知らされ、この坊主尾根コースでも、アドバイスをする余地はあまりなかったね。

さて、4時間40分ほどを要して11時40分山頂着。どうにか12時までに山頂に着いたことにとりあえず安堵。当然のごとく「お二人さん。少しばかりワタクシの自慢話に耳を傾けてもらいましょう。ちょっとこっちへ」と山頂の突端に案内し、山手本谷を見下ろし、対面に喜作坊主、二ツ坊主の巨大な岩場(写真1)を指さし、「こう見えても若かりし頃、眼下の谷の一つ一つを詰めたり、あの巨大な280mもある二ツ坊主の壁を登ったんだぜ・・・まあ俺よりうんと岩登りが巧い仲間が居たからだけど、いくらかはトップに立ったんだよ云々・・・(後略)」と、ひとしきりの思い出話を開陳。「せっかく案内してもらったんだから、兄貴分の話を拝聴してあげんとね」と、配慮をにじませた二人だった(写真2)。

山頂からは九折越経由、山手本谷林道最奥部に降り立った。そのまま谷筋の正規登山道を下ることも考えたが、疲れた体に一抹の不安を覚えたのと、昔懐かしい山手本谷林道を、かつての日々を思い起こしながら下りたいとの思いで、長い林道を下ることにした。

ところがこの林道、一昨年下った時は山手本谷出合の砂防堰堤工事で工事関係のプレハブがあり関係車両の往来もあったが、今日はその気配さえもない。道中、観音滝下り口までの約4kmほどが大規模な崩壊や路面の浸蝕など至る所で寸断されていたのだ(写真3)。

下山後に土木工事関係者に聞いたところでは、昨年秋津久見市をはじめとする県内地域に大災害をもたらした豪雨が、傾山でもこのような惨状をもたらした、とのこと。

この林道は、昭和40年代前半の祖母傾大規模伐採計画によるものだが、自然破壊の象徴ではあるものの、林道を拓いたことで山手本谷へのアプローチが短縮され、二ツ坊主南壁開拓のため山手本谷の入渓など、恩恵にあずかることができた。その後40数年、部分修復などはあったものの、これほど大規模な林道崩壊となると、もはや修復不可能ではと、複雑な思いになったものだ。

さて、そんな思いを胸に秘め、下山の道中は爽やかな終日の好天もあり、タラの芽採りに興じたりで、16時過ぎに九折登山口に着いて、登山終了。

早朝から、高低差1200m以上、かつ岩あり急登あり、アップダウンありの9時間あまり、登り応えがあるというより、もうこれからはハードな日帰り山行は安直に臨むべきでない、ということをこれまで以上に感じさせられた山行であった。

だからと言って、もう懲り懲りと言ってるんではありませんよ、お二人さん(-_-;)

下のURLでYoutube動画がご覧になれます。

https://youtu.be/UxkjGTQXNGw

 

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