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  1. 笠ヶ岳山荘について(0)
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水環境館水曜コンサートと小文字山登山のはざまで秋月に思いを馳せるの巻 (2018.10.17)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2018年10月19日(金)10時44分40秒
   読売新道~黒部源流域~笠ヶ岳行(断念)の記事以降、掲示板が寂しくなって久しい。今月上旬にこだわり&ぼちぼち&湯っ栗の三人で目論んだ餓鬼岳~燕岳~槍ヶ岳~双六 行も天候不順で中止の憂き目を見たこともあって、この掲示板関係者全体の山行そのものがくすぶっている。

 そんな状況だからこそ足元をきっちり見直そうと、秋の月への思いとともに近場の山を巡る報告をしましょう。あっ、決してお茶を濁すつもりではありませぬ。地元の低山も立派な山。金剛山ほどメジャーではないが、門司アルプスの一角、小文字山からの眺望はどこの山にもヒケは取らないことは、7年前の正月に一緒に登ったこだりさんならご承知の筈。前半はアートの色濃く迫ります(笑)。

  小倉の中心街、紫川の河畔にある水環境館での水曜コンサートにカミさん、K子さんと三人で行った。但しK・Kコンビは自転車。カミさんはバス。よって現地で会おうと算段したが、K・Kコンビは小倉城庭園での企画展(武将のたしなみ~利休・三斎・織部とつながる松井家の茶の湯~)を慌しくも鑑賞後に駆け付けたので、既に席にゆとりがなく結果的に離ればなれに(まぁ無理やり三人揃って聴かずとも支障はないのだけど)。で本日はいつものバイオリンに加来洋子女史、ピアノは湯田美津子さんのデュエット(二重奏)だが、響ホール弦楽団のコンサートマスターを務める加来女史は細身ながらも貫録充分。場を盛り上げつつ司会をしながらプログラムを進めた。

  して曲目は①秋だからこそ郷愁を誘う 「誰もいない海」 ②ゴッドファザーの映画で流れた「カバリューの間奏曲 ③ビゼー作曲 カルメンから「ハバネラ」 ④プッチーニ作曲のオペラから「トゥーランドット」 ⑤ミュージカル・王様と私から「シャルウィダンス」 ⑥ミュージカルの「レ・ミゼラブル」 ⑦「屋根の上のバイオリン弾き」 ⑧「Born to Smile」(葉加瀬太郎作曲) ⑨ヴィクター・ヤング作曲の「星影のステラ」 ⑩「タンゴ・ジェラシー」だったか。そしてこの演奏の合間に今後の演奏会の紹介(宣伝)や、昨夜八幡東区の高見神社境内での尺八と初めてコラボした際の、エキセントリックな演奏会の雰囲気など感想を挟みながら都合10曲の演奏は瞬く間だったような。

  う~ん無料でも間近に生でインスツールメントの音色を聴くことができるのはここしかなく、小さなシアワセである。ピアノの湯田さんもベテランの持つ渋みと安定感のある弾きを醸し出ているが、何と言ってもこのデュエットは加来女史の冴えわたるバイオリンの音色、響きにあろう。とそんなこんなのひとときも40分余でお開きとなったが、潔い終わり方も秀逸だ(何せ無料だからね)。

  そこで折角街へ出てきたカミさんと同席もせずサヨナラでは能がない。よってこの夏にオープンしたばかり、紫川対岸(小倉城内)のカフェ・コメダでお茶と相成った。室内は天井高く、白木をふんだんに使用したウッディ仕様でボックス席がメイン。平日の午後でもほぼ席は埋まっていて、まだまだオープン景気が続いているのか、或いは店の魅力がホンモノなのか・・・見極めはもう少し時間が必要かもしれぬが、河畔の癒しスポットとして賑わいが続いてくれればそれにこしたことはありませぬ。

  さてまったりお茶の後は約束の小文字山登山だ。で何故唐突に小文字山なの?と訝ったが、言いだしっぺのK子さん曰く「十六夜(いざよい)も間近だから今週末(19.20.21日)に小倉城庭園でそれを愛でる茶会があってね。(参加するつもりもないが)これに対抗?して本日午後、小文字山のてっぺんから十六夜の月を愛でようぞ!」と思い立った由。秋真っ只中の十六夜に“春花秋月“の風流なる趣を重ねれば分からぬでもないが、十六夜月(月齢16)なら昼間は見えませんぜ!と申し上げた次第。しかし後刻、月齢カレンダーを確認すると、今月の十六夜は一週間余も後の25日とあった(小倉城庭園の十六夜茶会そのものも日にちは合わないが、週末にこだわった模様)。

  ムムム・・・ならば今日の月齢は上弦の月といったところか。ということは物理的に昼頃に東の空から昇り、日没時は南の空に、真夜中に西の彼方に沈むので、(ご本人は分かった上で仰っているとは到底思えなかったが・・・笑)午後見える可能性はあったのだ。

  とそんな思いはアプローチで既に潰えて、黒原から妙見神社へはガシガシと上り、足立山森林公園内の山腹道を北上して小文字山登山口へ着いた際はきれいさっぱり忘れ去り。自転車をデポし登山モードに切り替えてトレッキング開始だ。のっけからの急坂、久し振りの登路に多少浮足立ちもしたが、急ぐ必要はなし。コツコツと歩を進め、汗もじわじわとかき始めたころに急に天が抜け頂上台地に到着だ。足立山の前衛峰にしてたかだか366m峰にフーフー、ハーハーの体は似合わぬが、一気にせり上がった台上から見下ろす小倉市街の眺望は睥睨するかの如く。しばし涼風に吹かれながら関門海峡から市内全域の景を愉しんだ。

 さて火照った身体に温かな午後の日差しは心地よかったが、下山時には急に冷え冷えと化し、まっこと秋の陽はつるべ落としの感ありありと。季節の深まりを実感させられた夕時の小文字山であった。

  ちなみに秋月を愛でるには今週はちぃと早かったようだ。秋の夜長の十三夜(10/22)、十五夜(10/24)に十六夜(10/25)あたりが最適であって、宵の明星・金星とともに眺めれば風流さは際立つこと請合いだね。

(参加者)K子、栗秋と カミさん(コンサート及びカフェに同席)

(コースタイム) 自宅12:55→リバーウォーク駐輪場13:18 (小倉城庭園企画展鑑賞・武将のたしなみ13:23~44、水環境館水曜コンサート鑑賞・ピアノとバイオリン二重奏14:00~14:40、小倉城内のカフェ・コメダ14:45~15:14)15:18→足立山メモリアルクロス(小文字山登山口・標高100m)15:47 50→(登山)→小文字山(標高366m)16:25  46→(下山)→登山口17:15 17→門司・稲積・某ファミレス17:42 19:20→自宅19:23
MTB走行 17㌔
写真 上 :水曜コンサートで二重奏本番!
     中 :小文字山の頂(366m)から市街地を眼下に
   下 :近々トレッキング予定の下関は吉見沖に浮かぶ蓋井島を遠望する
 
 

読売新道~黒部源流域~笠ヶ岳(断念)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 9月14日(金)15時36分32秒
  奥黒部ヒュッテからの読売新道は最短の水晶小屋でも所要11:30……8時間登った挙げ句に2800mの稜線でさらに4時間近くも風雨にさらされるのは、さすがにちょっと厳しいですね。入山日を変えにくいことに加え、相棒の希望も勘案して至った結論は“中止”です。

東京出張の往路の機内で地上の相棒とやり取りして至った結論です。

山道具を詰め込んだ重いキャリーバッグに仕事のカバンとで、八丁堀の会社に向かう、荷物も気も重い私でした。

翌14日。只今帰路の機内です。三連休前の金曜日の東京を、山道具を満載したキャリーバッグを一度も開くことなく、大分への家路についた機内でちょっぴり後ろ髪を引かれる思い。

「まあいいさ、また来るさ」と自分に言い聞かせております。

 

黒部源流域から笠ヶ岳へ向けて

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 9月11日(火)11時16分20秒
   昨年の同時期は南越え(難越え)~下ノ廊下~裏剣・・・裏剱と黒部の三大岩壁を仰ぎ見る山旅、すなわち八方尾根から後立山唐松岳を越え、長大な餓鬼山尾根をワンビバークで下って、欅平から下ノ廊下の途中に奥鐘山西壁を、池ノ平から小窓ノ王や剱尾根の大岩壁を、さらにハシゴ谷乗越から黒部ダムの道中に丸山東壁や大タテガビンの大岩壁を望む・・・を計画したが、あいにく北陸を直撃した台風のため下ノ廊下阿曽原温泉小屋までと計画の半分で撤退を余儀なくされた。

 親不知から白馬の縦走を終えたばかりの、昨年の同行者・Hさんから「昨年の続きをどうするか」との問いかけというか催促があり、行きつ戻りつの思案(試案)の果てに以下の計画が具体化してきた。

計画
9/14 信濃大町泊
9/15 信濃大町⇒黒部ダム~奥黒部ヒュッテ泊(実動5:25)
9/16 奥黒部ヒュッテ~(読売新道)赤牛岳~①水晶岳~水晶小屋泊、②温泉沢の頭~高天原山荘泊、③温泉沢の頭付近にてビバーク(いずれも実動11:30)
9/17 ①水晶小屋~岩苔乗越~高天原温泉~雲ノ平山荘泊(実動6:20)、②高天原山荘~三俣山荘泊(実動8:10)、③温泉沢の頭~雲ノ平山荘泊(実動6:30)
9/18 ①③雲ノ平山荘~鏡平山荘泊(実動8:20)、②三俣山荘~抜戸岳~笠ヶ岳山荘(実動7:00)
9/19 ①③鏡平山荘~新穂高温泉(実動4:00)、②笠ヶ岳山荘~(クリヤ谷コース)~中尾登山口(実動6:50)
   ※なお、増水時は笠新道コースで下山(実動6:15)

 この計画のポイントは入山二日目の読売新道だ。途中、山小屋はもちろんのこと水場もテント場もないロングコースだ。気持ち的には、温泉沢の頭からあまり一般コースとは言えない温泉沢を下り高天原温泉に浸かり、高天原山荘まで一日で通したいところだが、これがなかなかのロングコースでとても今の体力・体調では体が持ち堪えそうにない。しかも、現時点の向こう10日間の気象予報では期間を通して天気も今一つと言ったところ。

 この計画立案にあたり“こだわり”としては、
① 読売新道を通して黒部源流域を俯瞰したい、②北アルプス最奥の高天原温泉や雲ノ平など黒部源流域に身を置きたい、③笠ヶ岳からもう一度槍穂高連峰を俯瞰したい、等々なかなかに欲張りなのは承知の上だ。

 当然のことながらトレーニングも計画二日目の読売新道を意識して由布岳を中心にして以下のとおり満を持したつもり。
 8/20 東登山口~西峰~池代付近~西峰~日向岳散策路(歩行10.6km、所要7:08、累積標高差1145m)
 8/28 正面登山口~西峰~岳本~飯盛ヶ城~正面登山口(歩行12.2km、所要6:00、累積標高差1400m)
 8/31 正面登山口~東峰~岳本~またえ~正面登山口(歩行16km、所要7:47、累積標高差1830m)
 9/10 東登山口~東峰~岳本~東峰~東登山口(15km、所要8:40、累積標高差1870m)
 このトレーニング登山の合間に、霊山、自転車半島巡り、大分川ランニング等々、・・・特にランニングは直近9/9の12.3km走の10kmラップが60分丁度と、どうにか㌔6分ペースまで上がってきた。ランニングで思うのは、走りながら歳を取ったと一番実感するときだから、10km1時間はこの歳では悪くない、ということ。

 はてさて、計画を公開したが、結果はどうなることやら…。
 写真1:由布岳の岳本登山口からの登路から、写真2,3:同正面登山口付近から
 

(無題)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 9月11日(火)09時48分32秒
編集済
  体験さえしたことのない、日ごろ非生産的なことにしか肉体を酷使したことのない身では、なかなかコメントしずらいですね。

思い立って即実行・・・湯っ栗さんの行動力に拍手
 

広島県坂町へ 災害ボランティアを体験し 思うこと(2018.08.24~25)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2018年 8月28日(火)17時00分11秒
  ①経緯
 先月6~7日にかけての集中豪雨で大きな被害のあった広島県坂町へ、輪友・K子さんとともに災害ボランティアとして赴くこととなった。福岡県NPO ・ボランティアセンターの呼び掛けに応じたもので、東日本大震災や熊本地震で現地へ駆け付けた経験もある彼からのお誘いである。ボランティア精神に溢れた彼の誘いを断れる筈もない(笑)

 ~以上は一週間前、ボランティア活動保険加入顛末ルポで既に述べたところ。“世の為、人の為“と大上段に構えるつもりは毛頭ないが、少しでも現地のお役に立てばヨシとしようと奮い立った。もちろんこの種災害支援活動は初めてなので、持ち物や服装などの選択に必要以上に気を遣ったが、つまりはいつもの登山の出で立ちをイメージすれば大きくは違うまい、と悟った。

②アプローチ及び陣容など
 往復のボランティアバスは無料。今回を皮切りに9月14日の週末まで都合4回運行される由。もちろん食事や飲料、風呂など身の回りに関わる費用は個人負担だが、小倉からでも現地まで片道240㌔を無料で連れて行ってくれ、現地支援センターとアテンドしてくれることで、個人的にはハードルが下がって参加しやすくなったのは間違いない。

 行程は写真1に譲るが、福岡市吉塚と北九州市は小倉駅前の2ヶ所で乗り込める。内訳はバス2台に吉塚から30名、小倉から10名乗り込み、総勢40名(内女性10名)とは世話役の県職員、K本さんの弁。よって二席を一人で占有でき広々空間を確保できたのは幸甚やったか。加えて深夜、中国道~山陽道をバスに揺られる機会は初めて。旅行気分とはほど遠いが、異郷への旅立ちに深夜のバスも悪くはない。

③現地の状況など
 今回の目的地、安芸郡坂町の被害状況は中心部のJR坂駅付近が冠水し多くの家屋が床上浸水するなど町の機能がマヒする事態となった。しかし被害の甚大さは町の中心部から5㌔ほど南下した小屋浦地区にあって、土石流が上流の砂防ダムを破壊し、大量の土砂が住宅を襲い15人が死亡、1人が未だ行方不明とのこと。

広島湾に面し南北の丘陵帯に挟まれた谷筋に民家が密集し集落内の道路は狭い。それゆえ外縁に設えた道路はバイパスして上流部へ繋がり、上流部への住宅地造成を助けたと見た。上へ行くにしたがい家屋群は比較的新しく、広島のベッドタウンとしての趣だ。

④作業のあらまし
 サポート小屋浦(小屋浦小学校)で受付を済ませ、指示を受け黙祷を捧げた後、現地へ赴き作業にかかった。して写真2見取り図のように山腹を這う生活道路の側溝に溜まった土砂撤去と民家前の道路上の漂流物(ゴミ)除去が主な作業だった。しかし一口に土砂と言っても、濁流で流されたビン、カン、ペットボトルに金属片、プラスティックに木材、瀬戸物、ガラスなど、ありとあらゆるものを分別し土嚢袋へ詰め込み・トラックへ積み込むまでの一連の作業は、このところ早朝ランばかりで暑さに慣れていない身ではけっこう堪えた。

 それでも個人ごとの作業の積み重ねが成果に繋がっていく。一方で全体の作業の流れや、進捗状況の把握・判断など、体験してみて、ボランティアとしてどうしたらベストなのか、全体の力をもっと活かすにはどうしたらいいのか、一筋縄ではいかないけれど、マネジメントとして改善の余地も伺えた。とまれ貴重な体験を得て、微力でもそれなりの達成感はあったものと考えたい。

 一方で周りの景色は災害発生から1ヶ月半以上が経ち、倒壊したり土砂に埋まった家などは殆ど整理され、見た目さほどの惨状とは感じ取れなかったのも事実。但し家々に閉じこもっているのか、或いは避難所生活を強いられているのか、住人の姿は見えず、重機のエンジン音を除けば炎天下の異様な静けさが、記憶に残った。生活臭のない集落に身を置く居心地の悪さとでも言おうか・・・不思議な感覚が残ったまま作業を終えた。

⑤思うこと
 この地は明治40年にも大規模な水害が発生し、43の家屋が流され44人の尊い命が失われている。その惨事を後世に伝えるための災害碑が山腹の道路脇に建立され、川沿いの災害現場を見下ろしていた。111年前の教訓が活かされなかったのは皮肉だが、砂防ダムの建設など河川の治水工事が滞っていたとは一概には言えまい。人知を超えた自然災害とどう向き合うか、この国の住宅立地事情とも絡むが、特に地方の人口減少を鑑みるに、益々対策は難しくなっていくこと必定である。

 そして温暖化による異常気象の頻発度合いをみると、対症療法だけでは応じきれないのは自明だろう。その意味で被災地の現実を目の当たりにすると、益々防災の難しさが直感的に感じられ、無力感が漂った。個人では如何ともし難いことが分かっていてもである。

(参加者) K子、栗秋 他大勢

写真上:福岡県ボランティアバス行程表
  中:小屋浦地区の見取り図と我々の足取り(ナフコ駐車場からサポート小屋浦へ。受付と指示を受け作業現場へ)
  下:側溝に埋まった土砂の撤去・土嚢袋詰めが午前中の主な作業
 

由布岳の本

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2018年 8月23日(木)09時01分30秒
   こだわりさんの由布岳別天地を探るシリーズの中、「由布山 国立公園 編集 加藤数功」(刊行 湯布院町観光協会」から数点引用されていましたが、この本のタイトルどこかで見たなぁ、と思いつつ読み飛ばしてました。そして今朝、本棚をみていたらありました、この本が!

 大分勤務時代に市内の古本屋で求めたものと記憶していますが、湯っ栗の場合はただ買っただけで積読40年。今回こだわりさんが掲載した由布岳俯瞰図や南面図を見て、どっかで観たぞ!このイラストは、と記憶の回路を呼び起こして今朝の“発見“に至った次第。

 思えば由布岳は身近過ぎて、単純に西峰、東峰、お鉢ぐらいしか踏まず、そして由布岳早登り大会に身を数回投じたぐらいですべて分かったような気でいましたが、とんでもない!奥が深~いことがよく分かりました。池代一体など九重のさど窪のような雰囲気でしょうか?知り得れば行ってみたい気になります。機会があれば(機会を作って)是非と!と言っておきましょう。
 

由布岳の別天地を探る 補足

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 8月22日(水)09時54分30秒
編集済
  由布岳の別天地を探る①で「由布山 国立公園 編集 加藤数功」(刊行 湯布院町観光協会)の本文中の“由布山俯瞰図”を紹介したが、これはこの著書の中の分担執筆者の一人・八十翁 溝口武人氏による「お山めぐり」の中から引用したものだ。ついでながら同じく同氏による“由布山南面図”も紹介しておこう(写真1)。

この写真では池代や飯盛山群の概念が非常に判りやすい。そして旧湯布院町の街はずれにある佐土原集落付近から“城の杉”や“城の池”を経由して飯盛山群を周回したり、西峰に直登するコースなども破線で描かれているのが興味深い。

そして同主旨の記述は、加藤数功・立石敏雄編「九州の山」(しんつくし山岳会、昭和36年)附録登山地図「由布・鶴見岳附近詳図」※の中にもある(写真2)。佐土原、重水、合戦原など湯布院から塚原に抜ける沿線の集落から池代を経て西峰に至る幾つかの登路が描かれている。

そして何より興味を惹くのは「西ノ岳の西北の中腹には池代とよばれる火口跡と飯盛山(1340m)の側火山があって美しい自然林の老木でおおわれ、由布岳で一番植物の豊富なところである」という立石敏雄氏の記述である(「九州の山」 立石敏雄著 しんつくし山岳会発行、昭和48年)。

昭和の時代、戦後間もなくの頃に由布岳西北の尾根上の台地に佇む天空の別天地に立ち静寂な空間を独り占めしたであろう先蹤者たちの境地に少しでも近づきたい。そういう経緯を知ってか知らずか由布岳のノーマルな登山道に飽き足りなくなった、エネルギッシュな高年登山者たちが、由布岳西北面に眼を向けるのは、必然とも言えるだろう。

“こだわり”も遅ればせながら、この付近に足跡を残してみたい、という気持ちだ。このところの相棒・Hさんにはもうちょっとだけ付き合っていただこう。

※:“こだわり”の手元には、おそらく昭和36年発行「九州の山」四訂版の附録であろうと推定する「登山地図(九州の山附録)しくつくし山岳会発行」があるが肝腎の本体はない。おぼろげな記憶では大分市内の古書店で附録地図のみ単独で売られていたものと記憶しているが、その記憶もちょっと怪しい。
 

由布岳の別天地を探る②(2018.8.20)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 8月21日(火)16時30分48秒
  猪瀬戸付近の東登山口を午前6時過ぎに出発し東峰まで1時間55分の所要。岩場の多いこのコースは標高差800m弱、標準的なコースタイムは2:20ほどだが、我々二人にとっては直近のひと月では三度目となり、所要時間が2:15→2:09→1:55と強化トレーニングの成果は少しずつ出ているのを実感。山頂から“またえ”を素通りして、登山道のジクザクの最後に近いところ(標高1330m)付近から、かすかな踏み跡伝いに池代を目指す。

ところで、このところのTVニュースなどで“スーパーボランティア”尾畠さんの話題が注目されているが、この由布岳で随分前から登山道整備に携わる熱心な別府の人が居ることは話に聞いていた。特に、またえを目指す直登箇所から東峰山頂に至る随所に漁網やロープなどを駆使して足場づくりを器用に行っている様には頭が下がる思いであった(感心するなら行動しろよ、と言われそうですが・・・)が、その中心人物が件の御仁だということを初めてというかあらためて認識した。その行動力というか実践力というか、には敬服するしかない。

話を元に戻そう。池代までは地図上では標高を保ちながらほぼ水平移動で西峰直下を、生い茂るカヤトをかき分けながら進むことになる。幸い随所にある低灌木にまきつけられた目印の赤テープが誘導してくれる。時おり樹林帯に入りカヤトがない分歩きやすくなるがしばらくするとカヤトの中に再び入る・・・この繰り返しののち比較的大きなガレ谷が立ちふさがる。

途中赤テープを見失ったところで案内人Hさんはこのガレ場の通過後は斜上し始め、高度を水平に維持した方が良いのではとの意見の“こだわり”は結局、案内人に追随する。

岩場伝いに支尾根に上がりついた先(標高1390m)は、池代火口の外壁の上部であり、眼下に池代一帯とその向こうに独立標高点・1347mの顕著なピークのほかに小さなピークや、樹林に覆われているが火口群らしきものが見通せる。我々二人の立つ位置からは池代への下降はまるで垂壁のようにも見え、この後の行程を考えると火口壁のブッシュ帯をとても藪漕ぎ下降する気にはなれない。

今日のところはここまでとする。

大きなブナの木や、初夏ならばバイケイソウの群落があるという池代に想像を膨らませながら西峰の西面直下の急登に取りついてしばらくすると、見失っていた赤テープが現れた。池代から西峰に突き上げるコースにどうやら合流したようだ。テープに導かれながらの急登で標高差を200m弱ほど稼ぐと、頭上が明るくなり西峰のお鉢巡りコースの尾根に出た。

今日のHさんも当初は西峰から池代への下降を提案していたその理由に納得した次第。次回はもうちょっと時間と余力を残しているうちに、①由布市佐土原集落付近からの直上、②西峰お鉢巡りコースからの下降など、できればもう少し涼しくなってから実践したい。

西峰からは合野越→日向自然観察路→日向越を経由して猪瀬戸の東登山口に戻ったのが午後1時13分。本日のトレーニング:歩行距離10.6km、累積標高差約1300m、所要時間7時間8分。台風のため富士山を断念し間にお盆が入ったりで、せっかくの体作りが元に戻りそうな心配をしていたが、意外と体が軽かったことに少し安心。

写真1:由布岳正面登山道※標高1330m付近から池代に向かう水平移動の途中、涼しい樹林帯を通過。
写真2:火口壁のてっぺんらしき尾根から飯盛山など池代一帯を俯瞰する
写真3:火口壁のてっぺんらしき尾根から西峰を見上げる

※昔は東登山口というのは、我々が由布早登り大会などやっていたコースだったように思う。いつの間にかそこを正面登山口と呼び、東登山口は猪瀬戸側になっているから、最近登り始めた人と話をすると話が通じないときがあり、ややこしい。本稿に引用した「由布山」(加藤数功編)でも、現在の正面登山口は“東登山口”と明記されている。
 

由布岳の別天地を探る①(2018.8.20)

 投稿者:こだわり  投稿日:2018年 8月21日(火)15時13分4秒
  由布岳は一見、単調な山のようだが、多くの寄生火山や火口が至る所に散在している。由布岳という山名は小さな山の集合体の総称とも言える。最高点三角点のある西峰(西の岳)、それと対峙する東峰(東の岳)、お鉢巡りで通過する剣ヶ峰(剣の峰)、それに東麓の日向岳とへべ山、南麓の飯盛ヶ城・・・ここら辺りまでならば、この山に少し詳しい人なら思い浮かぶ。

しかし、これら以外にも古い文献には西峰から西方に派生する尾根の標高1300m付近の小さな寄生火山群に、飯盛山に総称されているが第一飯盛山から第六飯盛山などの記載があるしこれらに囲まれた池代という台地は、麓の佐土原付近から登路の記載もあることなどを知る人は少なかろう。

特に池代と呼ばれる台地はもともとは火口だったものが埋もれて平坦になったもののようで、静寂な別天地が想像され前々から気になっていたところだ。

インターネットの発達した今日、あらためてこの付近を調べてみると色んな登山者がこの場所を訪れているのが分かる。緑山岳会以来のお付き合いであるHさんは飯盛山(独立標高点1347m、第六飯盛山に相当)に登り西峰直下を直登したことがある、ということだったので、同行願った。

写真1、2:「由布山 国立公園 編集 加藤数功」(昭和33年、湯布院観光協会)の本文記事及び付録地図からトリミングして引用
写真3:今回の登路
 

柳瀬正夢のスケッチを辿って門司港を自転車&トレッキングで巡るの巻 (2018.08.17)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2018年 8月21日(火)09時30分55秒
    神無月の北ア餓鬼岳~槍~双六縦走プラン、現実味を帯びてきましたね。ニンゲン目標があればそれなりに努力するようにDNAがなっている証だと思います。ケガせんように金剛山登ったり、河川敷走ったりして体調整えておいてくださいね。
  さて今朝は以下のように四日前の行動記録を紹介して話題提供とします。災害ボランティアへの申し込みが、にわかに門司港地区の低山歩きになってしまった顛末記です。

「今月24~25日に先月の豪雨災害で大きな被害のあった広島県坂町へ、遊び友達のK子さんとともに災害ボランティアとして赴くこととなった。福岡県NPO ・ボランティアセンターの呼び掛けに応じたものだが、東日本大震災や熊本地震のボライティア経験のある彼からのお誘いである。今や時の人となった大分県日出町の尾畠春夫さんの活躍(※1)には及ばないにしても、ボランティア精神に溢れた彼の誘いを断れる筈もない(笑)。と前段はさておき、現地へ赴く前に“ボランティア活動保険“なるものに入らなければならず、区役所で受け付けている由。よって午後、二人して自転車で清滝にある門司区役所を目指すこととしたが、(たぶん) 往復16㌔で終わる筈はなく、新たなミッションが気になったのは言うまでもない。

  すると彼は自宅玄関先まで持ち出した分厚い美術本を提示、何やら一枚の絵を指して「柳瀬正夢(※2)が描いた筆立山の山頂から三角山方面を描いた作品なんだ」と愛おしく眺めながら宣まったのだ。正確には柳瀬が17才(大正6年)の時の作品で、タイトルは『門司筆立山より門司市堀川 我望む』とあった。この絵から分かるように昔(大正年間)は第一船溜まりと第二船溜まりの間に運河が穿たれていて、今の門司港レトロ観光線に沿ってやや山側にあったらしい。大正から昭和の初期にかけて門司港は九州一の大都会にして不夜城の如き栄華を極めていた時代ゆえ、域内物流の動脈としても機能していたに違いない。そして運河の奥の山は疑うことなき三角山なのだ。

  そこで彼は「区役所まで行くんで、先ずはその背後に控える三角山(194m)に登り、そのあと旧門司の筆立山(105m)にも登ろう」、「エクササイズを兼ねてこの絵に思いを馳せてみようじゃないか!」と意気軒昂に本日のアクティビィの全容を示したが、異存あろう筈はない。但しこっちは「Who 柳瀬正夢?」「Where筆立山?」と疑問符がついたままだったが、問うてる暇はなく、柳瀬正夢の略歴は脚注2の如く、筆立山は地図で示すように古城山からの山の連なりの南端に位置し、関門国道トンネル入口から見上げる山(丘)だったのだ。

 さて保険加入の手続きは15分ほどで終え、三角山へは裏手の風師山展望台への車道をヒルクライムでおよそ10分、標高差にして110mほど稼いで、既に汗びっしょりの体。後は雑木林の中、直上する踏跡を張り巡らされたロープを頼りに登ること7分ほどで斜度も緩やかになり頂に到達。門司港勤務時代(90年代)、社屋から直近に見続け、気にはなっていたがついぞ果たせず、初めての頂である。よってそれなりの感慨を眺望とともに味わおうとの胸算用も、まったくもって頂は鬱蒼とした森の中では叶わず。

  してその中央に毘沙門天が祀られ、脇には金網に囲まれた無線中継の電源棟らしき建物、そしててんでんばらばらに地蔵仏が複数体安置されていたが、木々と草薮に埋もれてしまい、寂寥感のみが漂う。

  もちろん何故置かれているのか分かる術もなかったが、後刻調べてみると、この山の9合目から山頂にかけて、4段の郭が築かれ、主郭には帯郭が巡っていた、との記述が。つまり門司城(古城山)の支城としての三角山城の跡だったのだ。築城は南北朝時代とも言われているが、安芸の毛利元就と豊後の大友宗麟が激突した門司城の戦いでも激戦地となったそうなので、16世紀頃までは山城として機能していた模様(※3)。

  その意味では山頂で感じた寂寥感は、まさに『夏草や兵どもが夢の跡』に通じる物悲しさであり、地蔵仏群は霊を慰めるため・・・・としておこうか。
  余談だが、三角山の呼称は見た目からしてサンカク山と思い込んでいたが、ミスミ山が正当という。くだんの門司港勤務時代、同僚たちとはすべてサンカク山で通じていたが、歴史上の固有名詞を読み間違えてはイカン!にして遺憾かな(当時、誰ちゃ云わんが地元のK子さんもサンカクヤマと呼んでいたからなぁ・・・笑)。

  さぁ次は本命・筆立山である。地味さ加減ではピカイチの丘みたいな山に、名前なんかあったのか!と、訝しむも国土地理院の1/25,000の地図を見るとちゃんと明記されているじゃないか。また出典不詳なれど、遥かいにしえ、神功皇后の三韓征伐の勝利後、その証として、この山に神社を建てる話が出た際、征伐に同行した高僧に、この山の絵を書かせたが、僧は美しさのあまり絵を描くことが出来ず、筆を立てたままにしたそうな。つまり筆立山というマユツバものの話もある。途端に格式高い山に見えてくる(てな訳ないか)が、どう見たって明媚な山には見えないがねぇ。

  で登山口は甲宗八幡宮の裏手、旧古城小学校の正門まで上がり駐輪。民家の軒先や畑を突っ切って山腹に達すると旧門司から大久保へ繋がる山道に合する。これを数分詰めると峠に達し、右は踏跡を筆立山へ、左は立派な石段がパコダ塔の山へ続いている。先ずは右へ5分の歩程で筆立山頂に立つも、これまた鬱蒼とした森の中で眺望どころではなかった。樹木は大きく生い茂り、作品が描かれた“大正“は遠くになりにけりであったか。

  この山も前出の記述(※3)では山城として、3段の郭が築かれていたようで、甲宗八幡宮側には斜面を削って人工的な崖にした切岸(きりぎし)が多数残っているという。一方で三角山も筆立山も他の企救山地の山々と同様、明治から先の大戦まで軍事上の要塞として、一般の人の立ち入りが禁止されていた由、よって少年期柳瀬が描いたくだんの絵も、軍の許可を得なければ筆立山に登れず、不便の末の作品・・・と慮ったのはまたまた余談だったか。

  閑話休題、思いがけず一枚の絵をキッカケに、遥かいにしえから大正期の門司港に思いを馳せ、その歴史に少しだけ立ち入った自転車と低山歩きのドタバタ劇だったが、ピンポイントでほんの一断面を俯瞰したに過ぎない。その意味で門司に限らず市内全域を見据えれば、これからも好奇心を満たすスポットに事欠くことはなかろうし、興味は尽きない。さぁ次の“一枚の絵“はどんなものか、身構えつつも期待してまっせ!と虚勢を張ってお開きにしよう。」

(※1)8/13 山口県周防大島町で行方不明だった藤本理稀ちゃん(2才)の捜索で、ボランティアとして駆け付けた直後、今までの経験を活かして無事発見にこぎつけた。これまで全国で被災地支援や行方不明者の捜索に参加してきたスーパーボランティアの異名を持つ。御年78才。

(※2)愛媛県松山市で生まれ、11歳のとき、門司へ移り住む。1915年、15歳の若さで油彩「河と降る光と」が院展に入選し、早熟の天才画家として有名になった。その後上京し絵画を学び、読売新聞に入り、時事漫画を描く。折しも大正デモクラシーが高まりを見せた頃で、前衛美術に進んだ。
  一方でプロレタリア美術にも傾倒し、無産者新聞に参加し、多くの挿絵を執筆した。1931年10月、日本共産党入党。しかし翌1932年に治安維持法違反で検挙され、拷問を受ける。こうした逆境にもめげずに、プロレタリア美術への運動を続け、戦前~戦中にかけて幅広く活躍した。1945年5月、山の手空襲により新宿駅西口で戦災死。享年45。

(※3)『門司・小倉の古城史(改訂 企救郡古城址取調簿)』八木田謙/著より

(参加者) K子、湯っ栗
(コースタイム)自宅(門司) 13:16⇒(K子宅13:25 34~R3経由)⇒門司区役所13:48 14:06⇒三角山登山口(128m)14:16 19→三角山(194m)14:26 34→登山口14:40 43⇒(清滝神社14:46 50及び門司港NTTレトロ館14:53 15:01経由)⇒筆立山登山口(甲宗八幡宮上・27m)15:09 12→筆立山(105m)15:24 26→パコダ塔(115m)15:35 40→登山口15:51 54⇒(R199経由)⇒門司下二十町・カフェ16:15(喉を潤す)17:06→自宅17:16
自転車走行 21㌔

写真上:古城山と筆立山、門司港市街と南に鎮座する三角山の位置関係図
  中:柳瀬正夢 17才の作『門司筆立山より門司市堀川 我望む』
  下:関門トンネル入口付近から見た三角山
 

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