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  1. 笠ヶ岳山荘について(0)
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第34回維新・海峡ウォークに初参加 の巻 (2019.04.14)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 4月15日(月)21時55分6秒
    昨日、下関市は吉田の東行庵・奇兵隊本陣をスタートして門司港駅まで28㌔を歩く維新・海峡ウォークなるイベントに参加してきました。一方で、ぼちぼちうんちくさんも同日、大阪一番の名所かつ一級山岳ルートの葛木山から金剛山への縦走登山大会に出場、日頃の健脚ぶりを発揮し完歩された由。ご同慶の至りです。それぞれ春爛漫のこの季節、フィールドに出て汗を流すことは善きことかな、と健康に感謝しつつ思うところ。海辺で釣り糸を垂れるのも然り。山、海、フィールドなどで成果、釣果などを上げるのも、我が世代の今を生く証かなと思っている次第。以下、標記ウォークイベントに参加して思い付いたこと、感想、感慨などをランダムに記して二週連続の近況報告に代えます。

①エントリーフィーなし
  昨今の市民マラソン大会は一万円以上が相場のこの時代に、エントリーフィーがゼロとはまっこと懐に優しい嬉しい大会。加えて歩くだけなので気軽に参加できるイベントでも有り。そもそもJ R九州ウォーキングなどこの種の大会は町興しの意味合いもあり、何処も無料でスタートした経緯もある。この流れを汲んでのことだろうが、各チェックポイントはもちろん距離が30㌔もの規模になると、膨大な数のスタッフが必要。要所要所にはスタッフが立ち道案内。これらは市民ボランティアや消防団員に自衛隊の協力もあってのことだろうが、財源は協賛企業の協力金と市の助成金?の類いしかない筈。よって各エイドの飲食は有料だが、飴やお菓子にお茶、清涼飲料などは無料で提供している箇所も有り、市民エイドもそちこちにあって、とてもアッホームかつフレンドリーだったことを記しておきたい。一緒に参加したいつものK子、М田両兄は手作りおにぎりを携えてきて、昼飯代はかからず、己も屋台でうどんとおにぎりで済ませて充足した。初めての参加だったが、とてもチープシックで、地区毎のおもてなしの熱意が直に伝わってきてなかなかのものだった。是非これからも継続して欲しいイベントと言える(もう34回の歴史がある大会なので、簡単に消えることはないにしても・・・)。

②大会を盛り上げる沿道のイベントに感心し、ボランティアスタッフのサポートに感謝!
  チェックポイント地点を中心に太鼓共演や踊り、吹奏楽など地域の団体や学生・生徒たちが沿道のそちこちで熱演し、歩きを応援、励ましてくれた。彼等のパフォーマンスは心強く、お祭り気分を大いに盛り上げてくれるのがいい。また第5チェックポイント(功山寺)直前の長府商店街の休憩所では、各種屋台の傍で沖縄歌謡ステージもあり、夏川りみに似た?歌い手が彼女のナンバーを巧みに唄い上げ、立ち寄った参加者たちの喝采を受けていた。我々の昼食タイムはこのステージの最前列正面に位置取り声援を送ったが、気分はノリノリ。もう少し度胸があったら飛び入り参加で「涙そうそう」ぐらい唄いたかったぞ!ここを出立の際、投げ銭したのは言うまでもない(笑)。

  一方、降る筈のなかった?空模様は長府の街に入ってからパラパラと落ち出す始末。くだんの商店街休憩ポイントまではなんとか我慢したものの、以降は傘を差しての行軍?と相成り、お祭り気分はいささか萎むし、同時に肌寒さも加わってトーンタウンは否めなかったが、致し方のないことか。しかし我々は物見遊山な感興で遊ばせて貰っているのでまだいい。スタッフの皆さんは仕事ならいざ知らず、ボランティアの身で黙々とサポートをしてくれましたな。頭が下がらんでは歩きませんぜ!

③不満な点
  途中、コースが分岐で分かれた箇所が二箇所ほどあったが、どっちを通ったらいいのか、或いはどちらでも構わないのか迷った。結果的にはまた合流したので、何ら問題ではなかったが、スタッフの配置はともかく分岐地点に簡単な説明板ぐらいは欲しかったところだ。また長府からみもすそ川の区間は途中から一般コースと健脚コースに分かれると配布されたパンフには記していたが、どこで分かれるのか、どんなコースなのか、直前のチェックポイント(功山寺)で説明が欲しかったな。資料を見る限りでは分からなかったし、初回参加組に対してのちょっとした気遣いだと思った次第。

④参加者の特徴やふれあいなどの感興
  正確には分からぬが、参加者総数は1万人は下るまい。数多の老若男女が参加していたが、幼児や小学生を伴った家族連れや職場・学校単位の団体参加も多く見受けられた。中には2歳にも満たぬヨチヨチ歩きの乳幼児を歩かせながらのファミリーもいたが、これなどは序盤のみ参加のクチだろう。またユニフォーム姿の若い女性グループを取材?すると(こんな役はもちろんK子さん。若い女性へ躊躇なく声掛けできるのは彼の特技か。警戒心を抱かれないその風貌と年輪のなせる技でしょう・・・笑)、看護師養成の専門学校生と判明。保健体育の必須行事で参加とのこと。完歩証明と引き換えに単位がもらえるなら頑張らざるをえまい。そこで「立派な看護師になって世のため人のためになってね」と労いつつ、「注射を打つ技量は大事だからしっかり実習に励むこと」と注文もわすれなかったぜ。一昨年、我が入院(肩腱板断裂)時の貴重な経験を伝えたつもり(笑)。一方でK子さんは若い子らとスキンシップを図り?彼女たちから「キャーキャー」云われながらエネルギーを貰っていた模様。面目躍如とはこのことなりか。

  また中には子供たちだけで参加のグループも散見された。終盤に入った長府から峠越えの区間で聴き取り?したグループは中学一年になったばかりの女子生徒5人グループ。新一年生の部活入りは校則で当面お預けの様子。よって先ずはこれに参加してエネルギー発散?とは体育会系グループには違いない。まだ12才になったばかりの子供が軽いノリで30㌔もの長丁場を歩くことに、ちょっと驚きもしたが、いまどきの女子中学生はこんなものなのかねぇ?と思わずにはおれなかった。もちろんこのグループにもK子さんはしっかりと声掛けしていたのは言わずもがな。「君たち5人全部足したら年齢はいくつ?」「え~と、60よ」、「おじちゃんは71才じゃ、皆足してもワシには及ばんか、若いなぁ君たちは!」と当たり前のことを仰る。「わー、おじいさん元気!」と言われはしたが、会話はそこまで。もっと話たかったようだが、彼女たちはもうグループ内の話題に移ってしまっていたのだから。誰ちゃ云わんが、心残りの表情を刹那見せたが、これも詮無いこと。そんな人間模様を滲ませながらも我が三人組はゴールに向かって着実に歩を進めたのでありますね。

⑤区間ごとの経過、葛藤、感慨など
  第1グループが午前8時35分に出発してから40分後の9時15分にやっと我が第13グループが出発。最初のチェックポイントの木津川べりの王喜の関まで早足を心がけ、全体としては追い上げたつもりだったが、もとより競争ではないので、焦ることはない。しかし前方に延々と連なる群衆?を捉えると、追い越そうとする心理が現れて身体が自然と前へ前へと誘われるが如し。苦笑いするしかない。

  で9.5㌔地点の第4チェックポイント(王司・神田の関)から次の長府までの8キロ区間に勝負を賭けた。とは大袈裟な謂いだが、このころになると渋滞もなくなり、けっこうスムーズに歩けるようになってきたのも要因の一つ。意識的に早足を心がけてどこまで前の集団に迫れるか試してみたのだ。
  よってK子さんはもとより途中からM田君ともおさらばして一人黙々と前を追った。出発グループ番号は各人のリュック等に貼り付けているので、その番号を確認しながら8番、おぉ5番グループに追い付いたか、3番、2番、そして1番と「ヤッタ!40分前スタートの組(の誰か)に追い付いたぞ!」と。このゼッケン代わりの番号は追い上げる目標にはなったが、グループ毎に揃って行動する訳ではなく、速い人は遥か前方の筈。キリはありませんな、フーフー。

 一方でこの頃から右脚ふくらはぎと大腿部裏側の筋肉に違和感を覚えるようになりイヤな予感が。まだ歩き出して12.3㌔だよ!と嘆いたが、身体は正直である。目一杯ピッチを稼ぎ、ストライドも確保しようと踏ん張ると、軽い痛みへと変化していくのが分かった。こんな些事が目下のところの最大の関心事であったが、もちろん大きな苦痛を伴う痛みではないし、ペースを落とす理由にはならなかった。無理を押してイケイケドンドン、まるで競歩の如く。この間、周りの風景など目に入る筈もなかったろう。

⑥完歩後の感想、感慨など
  関門人道トンネルを潜り九州へ渡ってラストもラスト、門司港労災メディカルセンター前の遊歩道で、スタッフのお姐さんから「足、大丈夫ですか?」と声をかけられ、自分でもビックリ。歩き方がおかしいのを見破られた気がしての驚きだったが、側から見ても痛みを堪えての歩きに見えたのか、情けないやら、しょうがないじゃないか!と複雑な思いが交錯したのだ。それでも残りはもうわずか。跳ね橋を渡った橋のたもと、門司港ホテル前の遊歩道が終点だ。ゴールを示す門柱とゴールテープ、加えて威勢のいい太鼓の響きに迎えられては、多少の感動も湧きいずったが、28㌔完歩のツケもきっちり。フルマラソン完走直後のような疲弊感こそなかったが、這う這うの体のゴールだったのは間違いなく、日頃あまり使わぬ筋肉を酷使するとこんな結果が、と新鮮な感慨が湧きいずった。これなら同じ距離をゆっくり走った方がラクじゃないか、そんな思いが偽らざる感想だったかなぁ。

  まぁそれでも来年はまた出ようか、と思い始めている。無理のないフォームを研究して、ガムシャラさを少し抑えれば、もうちょっとマシな歩きができるに違いないと、胸算用は描きつつあり。と何やかや申してもエントリーするのに敷居が低く、それでいてなかなかの達成感を得られる・・・これが一番の結論でしょうね。

(参加者) K子、M田、湯っ栗
(コースタイム) 門司(自宅)5:53⇒(MTB)⇒門司駅5:58 6:21⇒(JR・山陽線経由)⇒小月駅6:55 7:05⇒(バス)⇒下関市吉田・東行庵奇兵隊本陣(スタート)7:20 9:15→王喜・王喜の関(第1チェックポイント)10:00 02→小月・西の台の関(第2チェックポイント)10:23 28→清末・清末藩の関(第3チェックポイント)11:00 02→王司・神田の関(第4チェックポイント)11:27 32→長府商店街(昼食ポイント)12:42 13:20→長府・功山寺城下の関(第5チェックポイント)13:29 36→みもすそ川の関(第6チェックポイント)14:40 44→(関門人道トンネル経由)→和布刈・門司側関(第7チェックポイント)14:57 59→門司港レトロ本陣(ゴール)15:20 28→魚住酒店で角打ち打上げ(清滝)15:39 16:20→門司港駅16:30 34⇒(JR)⇒門司駅16:41 45⇒(MTB)⇒自宅16:52
歩行28㌔+α 自転車走行 約3.9㌔

写真上:パンフレット兼チェックポイント通過スタンプ押印紙
    中:スタート地点の奇兵隊本陣(吉田小学校)に集合
    下:6時間05分かかってゴールの門司港レトロ本陣iに到着!
 
 

春爛漫、下関・竜王山登山 by MTB (2019.04.07)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 4月 8日(月)16時59分9秒
  九重・沓掛山のマンサクの花、昨年は3/26にこだわり、うんちくさんと三人で登った時が満開でしたね。今年は若干遅いようだから一昨日~昨日にかけて見頃だったのは頷けます(3/6.7⇒4/6.7?)。「山からの風、少し吹いてきたようで何よりです」。

 一方で門司組合連合?は昨日(4/7)下関の竜王山に登ってきました。以下、その概略、未定稿ですが・・・。

 「夕刻から雨の予報だったが、アプローチはMTBで駆け、念願の下関は響灘に面した竜王山に登ろうと画策した。結果、黄砂の影響か山頂からの眺望こそすっきりとはいかなかったが、麓の深坂自然の森公園一帯は桜満開で大勢の人出に酔い、山稜は新緑が待ち遠しい冬枯れの林が静寂を誘った。春爛漫の麓の賑わいとは対照的な趣もまた一興にして面白くもあり。心配していた天候も崩れることなく、まさにこの時期の、気だるくもうずうずとした春の山を愉めたものと思っている。

 一方、アプローチでの最初の難関は、関門人道トンネルを下関側へ出た直後の、みもすそ川から椋野への峠。海底61mから地上へ出るとすぐ標高66mの峠が待ち受けるが、この750mの坂がけっこう難儀だ。して二つ目は登山口の深坂溜池堰堤(標高87m)までの上り。しかしこっちは比較的緩い坂なので、さほどの障害にはならず。むしろ深坂自然の森公園一帯の満開ヤマザクラを愛でつつのヒルクライムは、艶やかな景を独り?占めできてご満悦。この時期ならではのご褒美といえるのだ。

 さて本題、堰堤を渡って踏跡を辿ると立派な案内板に迎えられた。竜王山まで3㌔表示の登山口に到着だ。この山には吉見口(海側)から2回ほど登っているが、深坂側からは初めて。それでも初見参のK子・M田両兄を伴えば、案内役は湯っ栗しかおるまい。登山口は立派な看板が設えられ、懇切丁寧に案内しているし、(それによると)深坂自然の森から最初のピークのシタキ場山を経由して、鋤先山~竜王山~吉見峠~鬼ヶ城~狩音山~川棚温泉へのルートは、中国自然歩道の一部を成し、特に北浦スカイラインと称するシタキ場山から狩音山までの縦走路は、よく整備されていると伝え聞くところだ。よって指導標に倣って登ればいいだけと手の内を明かそう(笑)。

 で気になったのは深坂の南東方2㌔の蒲生野にある下関クレー射撃場からひっきりなしに聞こえてくる大仰な射撃音。最初は田畑を護る“しし脅し”の類いかなと、「まぁしゃないなぁ」の構えだったが、この辺りの地勢情報などに詳しいK子さんによれば、クレー射撃の練習場と言う。遊興施設とあらば、折角の山懐の静寂を破る雑音に「しゃーしぃなぁ!」と悪感情も湧きいずる。この雑音は稜線に出てもしばらく続き、雌鋤先山近くになってようやく遠ざかったが、気持ちのいい稜線漫歩を遮る音の公害、どうかならんもんかねぇ?と思わずにはおれなかったぞ。

 さて稜線に達するまでの登山道は傾斜も緩くがっちりした設え。一級国道の趣だったが、縦走路に出てからもよく整備され申し分なかった。但し、主だったピークを踏むたんびに急なアップダウンが現れ、階段状の急登や急降下は、足腰、特に膝に厳しく年寄り向きではないねぇ、と同行者二名の弁。相槌を打つしかなかったが、そこは労わりながらゆっくり登ればいいよ!と声をかけた。

 一方で登高スピードは遅々としても、口数はまったく減らず、見事に竜王山山頂まで両兄の会話は途切れることはなかった(あれこれと話題は全く尽きず、感心することしきり)。まさに無形文化財の域にあって、傍から見れば足で稼いだと言うよりも、口数の勢いで登った、が言い得ている(笑)。恐るべし!KMコンビの口力(くちぢから)?は。実力が如何なく発揮された山歩きだったのは論を待たず。

 さて1時間50分かけて登った竜王山の頂は、先客が3組ほど昼食のひとときを愉しんでいたが、冒頭で触れたように眺望はあまり利かない。北九州や下関近辺の山では、珍しいほど360度の展望を欲しいままにするこの頂も、今日は春霞(黄砂)が優り、すっきりした展望は望むべくもなかった。まぁ天気も崩れず、暖かな春の陽気の下、頂を踏めただけでヨシとしよう、と慰めた?が、初めて登った両兄には秀景へのこだわりはさして非ず、昼食タイムへの欲求が高かったと言ってしまおう(笑)。であれば、案内役も構えることはなく、のんびりとした時の流れが昼食風景を包み込み、ひとときまどろんだ。おじさんたちのお喋りも途絶えたのは束の間ではあったけれど・・・。~後略」

(参加者) K子、M田、湯っ栗
(コースタイム) 門司(自宅)8:12⇒(K子宅8:21 26 R3経由)⇒人道トンネル門司側8:52→下関出口9:05 09⇒(みもすそ川~椋野~秋根北町交差点経由・途中買物7分)⇒深坂溜池堰堤10:03 05⇒竜王山登山口(標高98m MTBデポする 竜王山まで3㌔)10:08 16→稜線(北浦スカイライン)10:36 38→雌鋤先山(標高493m)11:25 29→雄鋤先山(標高583m)11:45 48→竜王山(標高614m・昼食)12:06 12:40→深坂峠への分岐12:43→深坂溜池への分岐13:08 11→車道出合13:38 39→森の家(桜祭り開催中)13:51 14:09→(深坂溜池右岸経由)→登山口14:26 33⇒(勝山~滑石経由)⇒長府・関門医療センター15:10(〇〇画伯の抽象画を十数点常時展示) 15:24⇒人道トンネル下関側15:38→門司側出口15:52⇒(遊歩道~門司港レトロ周辺で小憩~R199経由)⇒門司駅16:21(駅前・某所にて小宴16:38~19:55)20:00⇒自宅20:10 竜王山縦走6.5㌔  自転車走行 約48.6㌔

写真上:深坂溜池登山口にて出発準備に勤しむの図
  中:竜王山々頂にて 門司組合連合揃い踏み
  下:下山途中、麓の深坂自然の森公園の桜並木に酔う
 

九重山 春真っ盛り

 投稿者:こだわり  投稿日:2019年 4月 8日(月)13時04分30秒
  3月6,7日 九重山を散策しました。
牧ノ戸峠から沓掛山の登りでは北斜面に今を見ごろのマンサクが目に飛び込んできました。

野の花に少しでも関心のある人ならばこの時期の九重に足を運べば当然のごとくマンサクを意識するはずですが、そういう"こだわり"もこの時期にマンサク鑑賞登山を業界の山仲間と企画したこともあるのに、この日はマンサクのことが全く頭になく、予想外の"歓迎"に心がなごんだことは言うまでもありませんね。

好天に恵まれた両日でしたので、初日は沓掛山~星生山~天狗ヶ城~中岳~久住山~扇ヶ鼻を巡り2日目は涌蓋山~みそこぶし山~一目山と周遊し、のんびりウォークを楽しみました。

ちなみにトレーニング不足の"こだわり"は全行程の5分の2はショートカットという体たらくでしたが、11年勤めた会社の退職に伴い人生のセカンドライフを終了し、この4月からはサードライフに入ったところで、節目の登山で体力を再認識する良い機会でした。

昨年秋の大崩山以降、「風車 風が吹くまで 昼寝かな」状態が続いていた山も、ここに来て少し風が吹いてきたかな、という感じですね。
 

下関は長府へ 昼食遠征と老の山公園花見散策など゙ (201.04.02)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 4月 5日(金)10時46分25秒
   霊山報告久し振りですね。快調さんもお元気な様子。末永く継続されることを祈念して、長州の話題を一つ。

  昼飯に珍竜軒のネギラーメンを食べたいね、とカミさん宣う。思い立ったら吉日。関門海峡を潜り、長府へ。並盛だけど麺もチャ―シュウも、そして当たり前だけどネギもボリュームいっぱいにして、頬緩み、幸せの笑みいっぱいだ。一杯850円だからコスパ的にはそこそこだと思うも美味い。正午前の入店だったのでそこそこ席は空いていたが、それも束の間でいっぱいに。サラリーマン風や土建屋さん風、家族連れもちらほら。この繁盛ぶりを見れば、この界隈の人気店に間違いはなかろう。ほぼ満足、来た甲斐があったぞぃ!

  さてせっかく本州に渡ってラーメンだけではもったいない。風は冷たいが快晴蒼空だもの、そうだ!彦島は北東端の老の山公園へ行こう、と相成った。先々月の初旬、初めて訪れた際、冬枯れの中にもたしか桜の木があった筈。宴を張る訳にはいかないが、そぞろ歩きの花見としゃれることはできる。関彦橋を渡って右折。今回は小瀬戸の海峡側から急坂を上って頂上台地の駐車場に着くと、そこそこではあったが花見客の車が留まっている。すぐ上の台上芝生広場に登ると大きなグループが二つに、個人の花見客、数組がシートを広げ花宴に興じつつありましたね。ところが広場の外縁に桜の木は連なって植わってはいるが、花見客の位置は樹下にあらず。う~ん、花見のシチュエーションとしてはちょっとピンボケやなぁ、と他人事ながら気になりましたな。とそれに加えけっこう北風が寒い。風さえなけれ陽光煌めいて暖かい筈だが、こりゃ花見もタイヘンだぃ!と。おっと他人様の不幸?を喜んでいる訳じゃございませんぜ。

  で目的はもう一つ。公園山上から眺める響灘の島影や北部海岸線に連なる山々を俯瞰すること。今日未明の雨もあって空気は澄み、眺望するにはもってこいの条件とみた。そして案の定、見晴るかす響灘の島々は北の蓋井島から正面至近の六連島、すぐ隣は小倉北区の馬島とその奥に平べったい藍ノ島が、更にその先の二つの島影は白島の男島と女島。眼下には彦島の南西側住宅地や工場群と海峡を挟んで若松半島の山々に八幡の皿倉山系もくっきり。そして北方の海岸線を見遣るとやっぱり主役はどっしりとした躯体の竜王山々塊と東には勝山三山など。渡航不可の白島を除き、他の島々や視界に入る山々は曾遊の地。親しみの風景なのだ。北風に吹かれながらも蒼く波立つ春の海、萌芽を待つ山々の彩と、この時期ならではの心浮き立つ春の秀景を愉しんだ。
(参加者)湯っ栗 と カミさん
(コースタイム)自宅11:18⇒(車)⇒下関・長府新松原町(珍竜軒)11:53(昼食)12:25⇒彦島本村町・老の山公園12:53 13:25⇒(車)⇒自宅14:03  車走行距離53.4㌔

写真上:長府・珍竜軒のネギラーメン
  中:老の山公園から云わずと知れた隆々とした蓋井島
  下: 北部海岸線に転じれば、どっしりとした竜王山塊(左側の隆起)が見える
 

久々の霊山

 投稿者:こだわり  投稿日:2019年 4月 3日(水)17時13分23秒
  この3月末で11年勤めた会社を辞めました。しばらくご無沙汰の霊山に今年初めての登山。

毎水曜日霊山登山会を主宰する会長さんからは年賀状に「たまには霊山に!」とあり、今後は時間が出来るので出席回数を増やそうというところですね。

霊山の昇り桜という言葉がありますが、今まさにその真っ只中です。本隊の皆さんより遅れて出発したところ412独立標高点ピークの少し手前で、独り下山中の会長さんに出くわして、そのまま一緒に積もる世間話をしながら下山しました。

車を買い換えたんだとか…免許証返納ではなく、これからさらに乗る、というところが意欲満々感心しました。いつまでもこの会を続けて欲しいものですね。



 

熊本・和水町で金栗四三ランニングイベントに参加、その一部始終をルポするの巻(2019.3.9)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 3月11日(月)21時59分56秒
   日本マラソンの父・金栗四三が少年期、自宅から学校まで通った通学路(山里道)をメインに走るイベントが快晴・陽春の下開催され、これに参加した。定員は60名。走力(本人の申告)によって㌔6分ペース、㌔7分ペース、㌔8分ペースの三グループに分かれ、それぞれに説明員(ランナー)が付き、走りながら、或いは名所旧跡は立ち止まって解説してくれる仕組み。つまり団体旅行で観光名所を巡るツアーのランニング版といったところか。よってシリアスなレースと違い、物見遊山な気持ちは否めない。しかし走りながら先達の偉業に思いを馳せ、ピュアな視点で臨めば、それなりに感慨深いものになろう、とこじつけた(笑)。

  そこで筆者は㌔7分ペースのグループを選択。おじさん中心(婦女子4名を含む)の20名ほどの集団で、もちろん他の面々と面識はない。コース図は上のとおりだが、スタート&ゴールは和水(なごみ)町の金栗四三ミュージアム(標高18m)。スタート時気温は5℃だったが、風もなく日差しは暖か。長袖と半袖Tシャツの重ね着で出走するつもりだったが、長袖Tシャツ一枚にして正解。まったく寒くはなかった。

  さて第一レグは田畑と丘陵地を縫って四三の生家までの約5㌔を走った。最初の3㌔ほどはのどかな田園地帯を北上して左折する。三加和小・中学校前を過ぎると、じわじわと上りが始まり、ちょっと下ったかと思えばまた上る(峠は標高82m)。狭隘山間道は工事中で、しばし砂利道も走り一筋縄には行かなかったが、最後はガッーと下って生家(山里の集落の一角・標高50m)に到着、一休みだ。もちろんレースとは違うので、ゼーゼーハーハーの域には至らずとも、集団から遅れる訳にはいかない。5㌔されど5㌔、集団のスピードも約束の㌔7分の大人しい走りではなかった筈。額に汗して生家前のエイドでは飲料サービスがうれしかったね。

  生家は農業の傍ら造り酒屋を営んでいたので、設えは立派で広く、集落の名士だったのは想像に難くない。但し10分ほどの休憩なので公開された家屋の中をじっくりと見るまでには至らなかったが、この界隈の民家も殆どが金栗姓と言う。典型的な農村地帯の一角、自然溢れるこの地が彼の少年期の情操感度を育んだのか・・・と時は経てもその空気感を味わえたこと。しかも走ってきてそれに触れたことは旅の印象を倍加させるに充分だ。

  さて第二レグはいよいよ本命、玉名北高等小学校(現南関第三小学校)まで毎日通学した、いわゆる金栗四三ロードをなぞるおよそ5.5㌔の区間。最初の2㌔ほどは田園地帯の広々平坦道を経て、やがて川沿い森の中の狭隘道に至り、やや下り基調の印象。㌔7分(たぶん㌔6分ぐらい)ペースが心地いい。ところが川沿い道(標高30m)から分かれ、いきなり丘陵帯への道路へ導かれると最初から上りが始まった。ここからが金栗四三ロードの核心部なのは見上げただけで分かったが、関心事はどのくらいの距離と標高差を上るかである。しかし山岳走ではないし、(韋駄天の異名は採っても)幼き小学生が走った道じゃないか、と腹を括った(笑)。

  確かに延々と続く上りもペースさえ落とせば沿道は集落が点在して、いわゆる昼なお暗い山の中の閑道とは違い、民家の軒先を伺いつつ草花を愛でることもできよう。小鳥のさえずりを耳にするのも一興だ。う~ん、時代は異なるが金栗四三も変化に富んだ里山の景色の移ろいを子供ながらに感じつつ走ったに違いなかろう。とまさにこんな感慨を抱きながら走れば、フツフツと含み笑いも表情に出てこようというもの。で丘陵帯を越えれば終盤である。南関第三小学校への下りは春の陽光を前面に受けて、快調に歩(走)を進めた。その意味でこの下りは全行程中もっとも気持ちよく、南に開けた丘陵地の風景を愛でつつ、絵になるシーンだったと思う。

  但し我々は春の陽光に助けられて物見遊山な面持ちで金栗四三ロードをワンウェイで走ったに過ぎない。道路整備もままならぬ明治の代に子供の足で毎日往復12㌔の山道を、時には風雨に晒され暑さ寒さにも耐えながら通った労苦は余りあるものがあろう。とそんな情景を頭の片隅に留めながら駆け下ったことも記しておきたい。ちなみに帰宅後、国土地理院の1/2万5千の地図で確認すると、このロードの核心部は分岐から1.5㌔ほどで標高100mに達し、最高点は南関町元相ノ谷集落の一角で標高117m。あとは国道443号沿いの小学校(標高75m)までうねうねと下っている。

  さて第二レグの終点、辿り着いた小学校のエイドでいただいた飲料や菓子類のお接待も適宜適切だったのは言うまでもない。ここでこのランイベントも山場は越え、後は国道443号を東へ取り、出発地に戻るだけ(第三レグ、約5.1㌔)。しかもこの区間は交通量の多い幹線道の狭い歩道を、蠢きながら集団で走っただけなのでさして感慨も湧かず、改めて記すこともない。

 そんなこんなで距離にして15.6㌔ およそ2時間(実質走行1時間36分)のランイベントは心地いい汗とともにゴールを迎えたが、終始アットホームな雰囲気に包まれ小規模運営ならではの心地よさが光った。また偉大な先達や地域の歴史を掘り起こすこの種企画は、ただ単に車で廻って見聞するのに比べ、その印象や感慨は心身共に深く刻まれるものと思う。その意味で関係者の皆さんへ感謝の意を表し、「和水町、なかなかやるじゃないか、良かったよっ!」と申し添えてお開きとしたい。
(参加者) 湯っ栗、付添い・E子(カミさん)
(コースタイム)
和水町・金栗四三ミュージアム9:20⇒(三加和小・中学校経由)⇒金栗四三生家9:51 10:04⇒(金栗四三ロード経由)⇒南関第三小学校10:35 45⇒(国道443号経由)⇒金栗四三ミュージアム11:19  ラン15.6㌔ 実走時間は1時間36分  三加和温泉入湯
写真上:金栗四三ミュージアムを始終点にぐるっと一周15.6kのランニングコースMAP
    中:第一レグの終点、金栗四三の生家にて説明を受ける
    下:1時間36分かかってゴールの金栗四三ミュージアムに到着
 

豊後の国へ N氏激励会参加と別大遊歩道ランなど(2019.3.2~3)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 3月 5日(火)13時36分1秒
  ①旅の目的と顛末
  4月14日の告示を控えた、かつての同僚・B市々議のN氏の第六期目の挑戦と勝利をめざした激励会がB市内某所で開かれ、これに出席するため一泊旅行を敢行した。もちろん東京から来分したかつての上司・K林氏の呼び掛けなのは言わずもがなで、遠隔地の己まで声をかけなくてもいいのに・・・とはいつものこと。集まったのはダシ?にされたN氏ご本人を含めて4人。全くの身内の会でただ単にK林氏が飲みたかっただけ(たぶん)と言えなくもない。

  して宴席は地元ならではボリュームたっぷりの関サバ・関アジ刺身盛り合せをメインに、地元の海の幸テンコ盛りに加え、各地の地酒(冷酒)の豊潤な味わいもグビグビ度合いに拍車をかけた(と言える)。中でも言いだしっぺK林氏の飲みっぷりや健啖さは相も変わらず。古稀を過ぎたら少しは控えめがいいよっ!と言っても聴く耳持たぬだろうなぁ。そんなこんなでアッと言う間の3時間。激励会の趣はどこへやら、昔話に花が咲き、元職に関わるエピソードは枚挙にいとまがなかった。おっとこれもまた想定内だったか。最後にこの会の支払いは主賓の筈のN氏がされた模様。御馳走になりました。気の毒さ極めけり・・(笑)。

②アプローチ
  豊後の国への往復は車。京築地方の旬の話題としてローカルニュースでしばしば取り上げられていたこともあり、往路は梅の名所、築上町椎田の網敷天満宮に寄り、境内の梅を愛でた。しかし盛りは過ぎていて、それほどの華やかさはなし。曇天化の肌寒い中では、土曜とあっても人影は少なく、参道に立ち並ぶ露店も手持無沙汰とみた。商売としては(最後?の)週末の書き入れ時に違いなく、この曇天と夜半からの雨予報に嘆き節が聞こえてきそう。

  さて宇佐からは院内、山香、速見ジャンクション下を通る山岳道(別府・宇佐道にほぼ並行して走っている県道?)を取り、別府APUに昼食目当てで立ち寄るも、食堂は本日のみ臨時休業と運がなかった。そこで下界に降り昼食後、先ずは義兄宅に立ち寄った。直前で連絡を入れビックリもされたが、別府まで来て素通りする訳にはいくまい。義母の元気な姿も見れて何よりでもあった(1時間余りの歓談)。

③別大国道(遊歩道)ラン
  それも午後2時前に退出して別大国道の中間地点に位置する田の浦海浜公園へ乗り込んだ。昨年の11月、別府での同期会の際、遠来のW田君とここを走る約束をしたものの、直前の火傷事件で叶わなかったこともあり、再チャレンジの意味合いもあった。して目論見はここを起点(131.8㌔ポイント)に別大遊歩道を端から端までで走ろうというもの。空模様は曇天ながらまだ(雨は)日中はもちそう。先ずは東別府の遊歩道北端を目指した。序盤は精一杯走っても㌔8分ペースぐらい。昨日ブロンプトン号で50㌔余り、アグレッシブに攻めた(サイクリングに興じた)ツケが回っていたのか、いやそもそもこんなものなのか(笑)。う~ん、足取りが重たいのは確かだったなぁ。

  一方で磯の香漂う巾広遊歩道は風光明媚で海岸線の風情もあり気分の悪かろう筈はなし。けっこうな自転車やランナーにも遇い、または交わされもしたが、のびのびゆるゆるを身上として走りを愉しんだ。して高崎山前(うみたまご前)を通り、東別府市街地への入口(遊歩道の北端・127.9㌔ポイント)で折り返すと若干の向かい風へと変った。がそれも心地よく、身体も温まってきたので幾分ペースを上げた(とは言っても㌔7分切りぐらいか)。大分市方面の景色を眺めながら、再びの田の浦海浜公園前を通過。すると1㌔ほど先で前方から、どこかで見たような、派手な服装のおじさんが自転車で進来しつつ「お~い、ちゃんと走ってるかぃ?」と声がかかったのだ。「エッ!誰?」と一瞬たじろんだが、釣りに嵌って久しい“こだわりさん”のおでましだ。もちろん午後別大国道(遊歩道)を走るよ、とは囁いていたが、正確な時刻など知らせていないし、会う約束もしていない。よって遭遇したのはちょっとしたサプライズだったのだ。

  但し、ラン途中とあって二言三言言葉を交わしてその場はお別れ(彼は田の浦海浜公園で釣り糸を垂れる由)、西大分の遊歩道端を目指した。遭遇後、幾分ピッチが上がったのは気のせいか。そして遊歩道の南端(134.9㌔標識有り)に辿り着き折り返したが、東別府からは片道7㌔ちょうど。田の浦まで帰ってちょうど14㌔、1時間40分の心地よきエクササイズであった。

④余談
 翌3日はさして予定はなし。加えて前夜から降り始めた雨の止む気配はなく、久し振りの大分でも為す術もない。そこで予告どおり松ヶ丘のこだわりさん宅へ立ち寄った後、帰門することとした。話題は今月末で退職する彼の来し方を振り返り、行く末を問うた。もちろんいろんな思いや熱い計画もあろうが、奥方の「毎日家に居られてもねぇ」が光った(笑)。“男はロマンを語り女は現実を見る”ではないが、つまるところこんなせめぎ合いも見えてこようか(おっと、我家のことだったと苦笑い)。

  とまれすこぶる居心地のよかったひとときを過ごし帰途に就いたが、帰巣本能を少なからずくすぐられた訪問だったかな、と反芻している。

(参加者) 湯っ栗 (激励会参加は他にK林、N、A部)
(行程)
3/2 門司(自宅)8:56⇒(車・R10経由)⇒椎田・網敷天満宮10:07 19⇒(車・R10~宇佐・別府間は山岳道~APU経由)⇒ 別府国際観光港踏切横・暖暮(昼食)12:05 30⇒石垣南の義兄宅12:34 13:40⇒別大国道田の浦海浜公園13:53 (遊歩道を東別府~西大分往復14..0㌔ 1時間40分かけてランニング)16:15⇒大分駅前・宿16:30 17:00→大分駅17:05 13⇒(電車)⇒別府駅17:26 30→北浜・ろばた仁17:40 (N氏激励宴会)20:40→別府駅20:50 56⇒(電車)⇒大分駅21:06 駅前の焼とり凡21:12~23:30→宿23:32
                                   大分コモドホテル泊
3/3 宿9:35⇒(車)⇒こだわり兄宅10:10 11:18 (車・R10~別府・宇佐間は山岳道~R10経由)⇒自宅14:27                      車走行 260㌔

写真上: 「ろばた仁」にて激励会(メインディシュは何と言っても関アジ・関サバの刺身盛り合せ)
  中: 別大遊歩道 西大分の遊歩道南端に立つ
  下:  こだわりさん宅でのひとコマ
 

歴史講演会「北九州市内の戦争遺跡について」を聴講し鷲峰山に登るの巻 後編(2019.02.09)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 2月13日(水)15時15分25秒
    さぁ雨は上がったが北風が冷たい。今日はまっすぐ帰ろうか、と言う段になって唐突にK子さんは「小倉南区の鷲峰山に登ろう!」と宣ったのだ。言いだしたら反応の有無にかかわらず、なかなか諦めないのが彼の身上であって、この粘り強い性癖がこれまでの人生を切り開いてきた、と言っても過言ではなかろう(笑)。とそれはともかく2/3が反対票を投じれば決定権は我々に有り!なのだが、その空気を読んだのか今回、彼はしおらしく諦め顔だ。となるとそんな簡単に、ちょっと調子狂っちゃうなぁ・・・と思わぬでもないか(影の声)。そこで「え~い、なら行きましょうぜ!」と発すると、たちまち笑顔が戻り、どんぐり眼が輝くに至って、彼の作戦勝ちだったのを悟ったのだ。

  で何故唐突に鷲峰山なのかである。講演会でこの山に高射砲陣地があったことは初めて知ったが、キッカケはそれではなく、以前から温めていた由。小倉北区との境にあるこの山は頂(136m)に白い大きな観音様が建立されていて、過去、この付近を通るたびに気になっていたと言うのだ。するとM田君も「守恒~城野間のモノレールからもよく見えますよ」「モノレールは見晴らしがいいからねー」と宣伝も怠らない。

  知らなかったのは湯っ栗だけ。地図で調べると山頂には公園があり、東麓から1.4㌔の登山道(遊歩道)がうねうねと紆余曲折しながら山頂まで延びている。登り口が分かりづらくちょっと迷ったが、登路(入口に進入禁止の枠があるが、舗装した車道)が分かれば一本道で迷うことはなかった。この時も市民ジョガーやウォーキングに青少年のトレーニング場面とも遇って、この遊歩道は市民に親しまれ活用されていることが分かった。喜ばしきことであって、彼等に声援を送りながら自然林の中のトレッキングもまた愉しだ。

  麓から15.6分でだだっ広い頂上に辿り着いたが、先ず目に付いたのが、威風堂々とした観音像。高さ17mの白亜の像はこの辺り一帯のランドマーク然として威光を放っているが、1966年に平和を願って有志の寄付で建立された由。頂上公園には満州の部隊に対する慰霊供養碑もあったが、何故満州の部隊なのか、北方歩兵連隊から出兵した兵士の慰霊碑なのか、説明板を見落としたのは、にわか戦跡探究の徒としては、いささか失態を演じたなぁ、と反省しきり。

  一方で頂からの眺望は申し分なしと言っておこう。北方は本州の山々や響灘にはしっかりと蓋井島の島影も認めたし、東方には市街地の向こうに平尾台の北端・貫山からなだらかに下った先、お椀のような豊前松山(128m 山城跡があり未踏の山)と、その北には曽根干潟に浮かび、大潮の時期に歩いて渡ろうと画策中の間島(41m)もちょこんとその突起が確認され、おぉあれかぃ!と胸躍った。戦跡や中世の山城探訪に秘島巡りもせにゃならんし、胸算用は忙しげなるも胸中のこと。しかし相棒二人のかしまし談議は山頂だけに留まらず、登りも下りも途切れることはなかった。そこに山にあるから登ろうよ、とシンプルにして静寂さを求めるには、いささか無理なキャストであったか。まぁいつもと変ることはないのだけど・・・。
(参加者) K子、M田、湯っ栗

(コースタイム) 自宅(門司)11:45⇒(牟田車・砂津~到津~旧電車通り経由途中 七条にて昼食)⇒いのちの旅博物館13:15(北九州市の戦争遺跡について講演会聴講)15:45→イノベーション・ギャラリー15:52 16:35⇒(車)⇒鷲峰山登山口16:56 58→鷲峰山17:14 27→登山口17:40 44⇒(車・競馬場前~三萩野~砂津経由)⇒自宅18:15
写真上:鷲峰山中腹から市街地(競馬場も真近に見える)と貫山方面を
    中:山頂は公園になっていて広々空間に平和観音像が鎮座している
    下:市街地を隔てて企救山地(足立山~戸の上山)を臨む
 

歴史講演会「北九州市内の戦争遺跡について」を聴講し鷲峰山に登るの巻 前編(2019.02.09)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 2月13日(水)15時12分8秒
    ちょっと暖かくなったり、急に北風ピューピューと縮こんだりと、日本海式気候の門司は煩雑に天気が変わり、豊後の国の冬の晴天が羨ましいところ。しかしめげてばかりもおれず、しかも今週末はフルマラソンも控えて、体調管理にもっとも気を遣わなければと用心していたのに、一昨日あたりから扁桃腺が腫れて難儀してます。どうなることやら?が目下の心境です。

  とそれはそれ、先週の土曜日、標題の講演会に行ってきました。その帰りに近くの里山にも唐突に登ることになりルポとしました。そんなに長くはないのだけど、講演会部分とトレッキング部分の2回に分けて書き込みます。以下前編です。

  輪友のK子さんから講演会のお誘いがあった。標題の「北九州市内の戦争遺跡について」は少なからず興味惹かれる演題じゃないかと食指が動いた。講師は特定非営利活動法人 北九州市の文化財を守る会理事長の前薗廣幸氏、もちろん知る由もない御仁だ。会場の八幡東区東田のいのちの旅博物館は、東田シネマの隣、東田の中核施設だが、バイクエクササイズにちょうどいい距離。とそれはともかく(こんな講演会を)よくぞ見つけてくるもんだ、といつも感心しきりだ。もちろん自転車にも市内の歴史探索にも興味旺盛な若頭・М田君も誘った。

  ところがいざ出発という時になって雨が降りはじめ、さぁ困った。一部強硬派長老の意見(そのうちに上がるので濡れて参ろう!)を押し切って車上(M田車に便乗)の人となったが、これは正解。途中、旧電車通りは七条で昼食を摂り、会場入りしたが、着くまで小雨が降り続いたもの。

  で前薗氏の講演はけっこう精緻を極めた。資料は12頁ものだったが、1~2Pの「時代別、区分別戦争遺跡数および明治期の下関要塞概要」と11~12Pの「特攻艇基地跡・蕪島、軍艦防波堤等」の4頁分のみ添付した。さて資料から分かるように戦跡は大きく二つ、明治期と昭和期に造られたものに分かれる。

  前者はロシアや清国の脅威に備えるべく、主に下関要塞群として関門海峡に沿って砲台や保塁(砲台を護る施設)が造営された。北九州市側で言えば和布刈、古城山、矢筈山、笹尾山、手向山、富野、高蔵山にその跡が残っている。湯っ栗も笹尾山と高蔵山以外は曾遊の地で、下関側の要塞群と併せて海峡を睨んできたのは大方の市民の知るところだろう。

  一方、後者(昭和期)は大正12年の関東大震災で東京の陸軍造兵廠が壊滅して、その代替地として小倉に造られたことで軍需産業の都ととして発展したことや、基幹の八幡製鉄をも含めて日本屈指の要衝の地だったことを思い浮かべれば、当然のこととしてこれらを防衛する意味から北九州周辺には高射砲部隊が数多く配置された由。

  もちろん米軍の飛行機の脅威に備えたものだが、敗戦が色濃くなるに従い物資不足で、コンクリートの保塁は造れず土塁で陣地を築いたり、響灘の島の砲台や高射砲台は米軍の九州上陸に備えて本土沿岸部へ移設したりの変遷を経ている(藍ノ島砲台は昭和18年6月に、白島砲台は昭和20年5月に撤去移管命令が出されている。また先月訪れた下関は蓋井島の疑似砲台なども戦況悪化に伴う物資不足などを物語る貴重な遺跡といえる)。

  湯っ栗の認識としては明治期の下関要塞群のあらましは、実際にこの目で見た箇所も多く馴染み深いが、昭和期に築かれた高射砲陣地等の情報には疎かった、と今更思う次第。足立山(砲台山)や小倉南区の鷲峰山(図らずもこの講演会の帰途、山頂まで登ったが、戦跡は分からず)、若松区の石峰山や弥勒山(2/1に登ったばかりだったが、この時は陣地があったことさえ知らず(※1))などの山岳地の他、平地にも多数造られたが、敗戦直後に、軍により施設は破壊、関連の機密文書は焼却されたと言う。近代史で言えば直近のことなのに、全体像が分かりにくくなっているのは敗戦ゆえの理由が大きかったとは。有史以降、国破れれば歴史残らずとの謂いは言い得ている。

  新たな発見はまだあった。資料1Pの昭和期に造られた施設区分に「特攻」の基地跡が一つあったのが気になっていた。講演が進む中で(資料10Pから11P参照)、特攻兵器四式連絡艇基地跡・蕪(かぶら)島に話が及んだが、蕪島とはどこ?いわゆる人間魚雷の秘密基地が北九州の沿岸にあったといういう事実が興味をそそったのだ。もちろん実戦には至っていないと思うが、講演終了後前薗氏に伺うと周防灘に面した門司の大積から喜多久に繋がる岬に蕪島(島ではなく岬)があると言う。

  但し今は私有地につき勝手には入れない(らしい)とのこと。う~ん、探索が難しければ、余計見に行きたいのが人情である(※2)。と湯っ栗の心はくすぶり続けている(笑)。とそんなこんなの2時間はアッという間に終演となり、話の中で未知の戦跡群に興味をそそられたのは言うまでもなく、「今日用」の行先地として新たに加わったのは言うまでもない。お二人殿、相違なかろうねぇ。

(※1)2/10考察(湯っ栗⇒K子)若松の石峰山北の高射砲陣地跡は、ネットで戦跡地図を見ると、2/1石峰山頂から北側へ登山道を下り(最後は自転車を担いで降りた)直下の林道に出ましたが、その林道に出会った地点の北側斜面がおおよその位置らしいです。また弥勒山の山頂には6門の高射砲陣地があったとはツユ知らず。事前に知っておればちょっと探索できたのに、と地団駄踏んで悔しがっております(笑)。
(※2)なんと2日後の2/11、探究心旺盛なK子さんは闇にまぎれて(まさか?)単独で蕪島侵入を試みたが、島(岬)へつづく海岸線は絶壁か阻み断念した模様。「ボートか泳いで行くしかないばい!」と、彼が添付のイラスト図右下に描いた絶壁の様子がそれを物語っていましたね。まことにすばしっこく油断ならぬ行動力には恐れ入るしかない(笑)。

写真上: 講演資料1~2P(時代別、区分別戦争遺跡数および明治期の下関要塞概要)
    中:講演資料11~12P(特攻艇基地跡・蕪島、軍艦防波堤等)
    下:北九州市内の戦争遺跡の概要と鷲峰山登山を語るイラスト図(by k子)
 

若松半島 石峰山地 縦断byMTBの巻 その2(アート編)(2019.02.01)

 投稿者:湯っ栗  投稿日:2019年 2月 8日(金)21時38分3秒
    もう一つ付けくわえると、このトレッキングを企画したK子氏の行動持論は「エクササイズ&アート」の旅だ。今回も忘れる筈はなく、白山下山後は若松区西端にある学術研究都市を目指した(西の果てまでけっこう時間がかかったぞぃ)。して目当ては域内の現代美術センターCCA北九州で開催中のハミッシュ・フルトン展(※4)。概要は脚注に譲るが、展示した作品は二点のみ(写真参照)。筆者には理解遠く及ばずだが、インドア密室空間で紡いだものより外界の空気に触れ、森羅万象からヒントを得て作品に至る方が、健全な精神が宿った作品になっているじゃないか、と味方したくもなる。

  そこで思い出したのは(私事で恐縮だが)、所属する山のいで湯愛好会の機関誌『おゆぴにすと』の巻頭に記された岳友・Tさんのコラム「おゆぴにすと・・・その由来と解説」に出てくる次のくだりだ。
「前略~英国の有名な旅行家の言葉に『風景を楽しむのに理解はいらない。しかし広大な自然の美を味わうためには鍛錬が必要だ。まず逞しい身体。次に豊かな感受性を保ちながら熟視する態度。そして科学的な能力の取得。これらの条件を身につけた者は、風景の巡礼者になれる。大自然の美を礼賛することができる』とあります~後略」

  ハミッシュは雨の日でも山野へ出かけ感受性を磨き、鍛錬を怠らないという。まさに風景の巡礼者たる素養の上に彼の作品群がある訳で、親しみと畏敬の念も湧こうというもの。直ちに“おゆぴにすと”の特別会員に推挙したいくらいだったが、生憎本日はこの会場に詰めておらず、皿倉山あたりを歩いているんじゃない?とは学芸員嬢の弁。折角の機会を逃してしまったが、世の中にはいろいろと変った人がいるもんだなぁ(笑)、と感心することしきり。そしてよくぞこんな展覧会を見つけてきたもんだ、とK子氏の好奇心と行動力にも感心するばかり。おかげでMTBの総走行距離は54㌔を超し、心地よい疲労感に包まれたが、アベレージは12km/h余と若松半島の山中を駆けずり廻り、一部悪戦苦闘したシーンがしっかりと反映され、愛おしくもあったなぁ。

(※4)今月8日まで開催中。ハミッシュ・フルトン(1946年イギリス生)の作品は、特定の場所を歩いた経験から制作され、歩くことで得たインスピレーションを作品としてアウトプットする。自分自身を「歩くアーティスト(Walking artist)」と呼び、旅の途中で写真を撮り、記録を書き留め、それを作品の中に取り入れることで自らの経験と観客を結びつけている。今回 彼は、四国八十八箇所の45番札所、海岸山岩屋寺近くに滞在し、愛媛県の久万高原町を14日間歩いた。この付近には古岩屋と呼ばれる、約2000万年前の地層が残る巨大な奇岩群があります。第44番札所、菅生山大寶寺から岩屋寺に続く遍路道の途中にあり神秘的な風情をたたえヒントを得たとある(by 現代美術センーCCA北九州プレス リリース資料より)。

(参加者) K子、栗秋
(コースタイム) 自宅(門司)9:08⇒(砂津~大門~戸畑経由)⇒戸畑渡船場9:59 10:11⇒(船)⇒若松渡船場10:14 15⇒(サンリブにて昼食調達10:17 23)⇒高塔山(122m)10:40 47⇒仏舎利塔(131m)10:52 57⇒高塔山霊園入口10:59⇒菖蒲谷分岐11:11⇒健康峠11:16⇒石峰山(303m)11:35 48⇒藤の木への分岐11:57 58⇒のろし台展望台(280m・昼食)12:00 16⇒岩尾山方面との分岐12:22 24⇒弥勒山への分岐12:35 37→弥勒山(194m)12:48 51→分岐12:59 13:00⇒ハザマ峠13:04⇒白山神社下13:07 08→白山神社13:15 18→白山(171m・上宮)13:24 28→白山神社13:34⇒沖津宮13:36 40⇒学術研究都市・現代美術センターCCA北九州(ハミッシュ・フルトン展)14:13 30⇒(R199経由)⇒若松渡船場15:12 18⇒(船)⇒戸畑渡船場15:21 26⇒(戸畑~大門~砂津経由)⇒門司稲積・某所(小宴)16:08 17:50⇒自宅17:52    自転車走行 約54.3㌔

写真上:ハミッシュ・フルトン展で展示物 その1
    下:ハミッシュ・フルトン展で展示物 その2
 

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